家と契約


家と契約は密接な関係がある。

夫婦は契約を結んで一体となる。その生活の場が家である。

だから、家は契約の場である。契約が支配する場として家を認識するべきである。

人間の体は家として造られた。

だから、人間の体は、契約の場である。

神と契約を結ぶと、神の霊が住み着く。人間の霊と神の霊が共同生活する場、それがクリスチャンの体である。

悪魔と契約を結ぶと、悪霊が住み着く。

自分の霊と悪霊が夫婦のようにそこで生活する。

悪霊の支配が強くなればなるほど、その人は、その悪霊に振り回されるようになる。犯罪を犯したり、恐怖や妄想に支配されるようになる。

神殿とは、家なのである。

神の家である。

クリスチャンの体は神殿であると聖書で言われているから、それは、単なる家以上のもの、つまり、神礼拝が行われる場である。

これは悪霊についてもいえる。

悪霊が住み着くと、そこが悪魔礼拝の場になる。

何らかの宗教を信じるならば、その宗教の霊の支配を覚悟しなければならない。

なぜならば、我々の体は、もともと家、神殿として造られているから。

悪魔は、我々の体を自分の神殿として利用しようとしている。

心の王座に座りたいと思っている。

そして、その人を通じて自分の欲望を遂げることを願っている。

憑依という現象を単なる精神病と考えてしまうと問題が見えなくなる。

契約的に見るべきである。

礼拝は、契約を結ぶことであり、契約を結んだ以上、その霊が入ることを覚悟すべきだ。

変な考えや行動、犯罪、妄想、そういったものに動かされている人は、ことごとく悪魔と契約を結んで、穢れた霊の支配を受けている。

聖書の神以外と契約を結ぶことは、悪霊の支配を受けることを意味する。

我々は、自分の体を家として考え、悪い霊が入らないように門をしっかりと閉じておくべきだ。

そのためには安易に教えを受け入れないこと。

聖書的ではないものを受け入れることは、一種の悪魔礼拝である。

門からの悪霊の侵入を許可することを意味する。

日本の家屋で、門のところに様々な魔よけを置くのは、この聖書の思想に由来すると考える。

 

 

2010年2月18日

 

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