罪の奴隷から解放されるには
司法修習生が、東京高裁・地裁合同庁舎内の女子トイレに盗撮目的で侵入だと。
我々は、「せっかく猛勉強して司法試験に合格したのに、何て馬鹿なことを!」と思うかもしれない。
しかし、人間は罪の奴隷になると、馬鹿なことを行うものである。
サタンは、我々の人生をめちゃめちゃにしようとしているのである。
「神?霊?サタン?そんな御伽噺を信じているなんて馬鹿じゃない?」と言っている人間ほど危ない。
すっかりサタンに騙されているから。
サタンは、自分を隠すことにかけて天才である。
本当の敵とは隠れているものである。戦場で最も恐ろしいのは民間人に変装したゲリラである。
「私は詐欺師ですよ!」なんて言いながら近づいてくる詐欺師はいない。
サタンは我々に小さな罪を犯させて、罪の奴隷にし、そして、それを行えば自分の過去の努力すべてが水の泡となるようなことをさせて楽しむのである。
イエスを裏切るという大きな罪を犯したユダは、弟子たちの会計の金をちょろまかす罪をずっと犯していた。
罪の奴隷状態から解放されるためには、心を低くして、ただひたすら主に悔い改め、哀れみをこい求める以外にはない。
2005年1月6日
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