ポスト・ミレ(後千年王国説)の聖書的根拠がわからないという人へ2
電話や面談でのカウンセリングで思うことは、現代のクリスチャンは、変な「現実主義」に冒されているということである。
「だって、現実はそんなに甘くないですよ。」という反応が返ってくる。
聖書の世界があたかも夢の話であるかのようだ。
これこそが、認識論に関して神と化した現代人の悲劇である。
なんでも科学的に解釈できないものは受け付けられない。
「信仰によって、我々はすでに勝利しているのだから、それを堅く握り締めて、異なる考えを頭の中に入れないように。」とアドバイスしても、
「いや、それは現実を知らないからです」という。
ここで、このような反応をした時点で、すでにサタンに負けているのである。
こんな頑固な人がどうして癒されるだろうか?
こういう反応をする人にとってカウンセリングはまったく意味がないのである。
わざわざ遠くから電話をかけて電話代がもったいない。
聖書的なカウンセリングによって癒されたいならば、カウンセラーが述べる「信仰的解決法」を素直に受け取ることである。
世俗的カウンセリングなんて何百年かかっても絶対に治らない。
聖書的カウンセリングによれば、早い場合は5秒で治る。
すべて受け取る側の問題である。
本気で聖書の解決を信じるか?
その信じる態度によって将来はまるで違ってくる。
今、大変な状況にあるというだろうか。
じゃあ、今は曇天なのだ。飛行機で雲の上にいくと晴れた空が広がっているのと同じように、曇天は一時的、仮の世界である。
雲を突き抜けて神の世界に上がることである。
神の世界ではすべてが解決済みである。
現状に振り回されず、聖書の御言葉にしがみつき、無理やりでも何でも、非合理的といわれようが、とにかく信じることである。
今の自分はなかなかいろんなことが止められないかもしれない。
しかし、その悪習慣によって落ち込んでいてもしかたがない。
「いずれ神が解放してくださる!」と無理やりでも信じることだ。
そうすれば、知らず知らず止めることができるから。
こういうようにして多くの悪習慣は、神が取ってくださる。
喫煙が止められない人は、15分我慢すればよいそうである。逆戻りの誘惑は15分しか続かないのであれば、その15分耐えればよい。
とにかく、あなたは「私は神の子である」と信じ切らねばならない。
神の子がどうして奴隷であってよいだろうか。
どうしてマイナス思考であってよいだろうか。
私は現代のクリスチャンをマイナス思考にしている元凶はまちがいなくプレ・ミレにあると思う。
「まもなく世界は終わる。何をしても反キリストにつぶされる。」と信じることによって、自分の可能性をつぶしているのである。
この教えによって、クリスチャンは悪と戦う気持ちを奪われるだけではなく、個人的な生活において勝利を確信できなくなる。
否定的な思考を内に入れないことである。
絶対に!
2006年5月26日
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