国民を馬鹿扱いしている国に抗議せよ


栃木での女児殺人事件について、コメンテーターたちが「社会は、子供を守るために、様々な防衛策を講じなければならない」と言っていた。

殺人事件に備えるために防犯対策を施しても限界がある。防犯グッズ、登下校道の監視、スクールバスの採用…。

いろいろやっても、裁判所が殺人犯に甘い判決を出している限り、殺人事件は減らない。

殺人罪に対して死刑判決を下さいないということは、潜在的な殺人者に隙を与え、犯罪許可証を与えているようなものである。

遵法的な市民は、声をあげて、今の裁判所や司法関係者の「常識」がいかに狂っているか、抗議すべきだ。

市民の普通の感情は、殺人者には死刑判決を出せということである。

とくに、被害者の家族には、この要望が強い。

昔は、被害者の家族には復讐権があり、仇を討つために、敵を追いかけた。

近代の法律において、決闘や敵討ちが禁止されたからには、司法がその代役を果たして、敵を討たねばならないのに、ちゃんとしたことをやらない。

どんなに被害者家族が死刑を望んでも、無期刑とか懲役20年程度の判決しかくださない。

国は、「誰が被害者なのか」という視点を失っているのである。

国が被害を受けたかのような判決ではないか。被害者の家族は蚊帳の外である。

聖書の刑法は、はっきりと「犯罪は、神と被害者に対して犯される」と規定している。国は、刑罰の執行役でしかない。だから、犯罪者は、国にではなく、神と被害者に対して償いをしなければならない。

神に対する償いは、「永遠の刑罰」か「キリストの代替死」のいずれかであり、被害者に対する償いは、故意の殺人の場合「死刑」、偶発的殺人の場合「金銭的賠償」が含まれる。

今の刑法の場合、被害者に対して賠償がないため、被害者は「やられ損」になっている。

読者諸君。これでお分かりだろうか。

国が神になるということは、こういう扱いを受けるということなのだ。

税金はさんざん取られ、無意味な戦争にかり出され、犯罪被害にあっても、何の賠償もない。

東京大空襲で一晩で10万人を無差別に焼き殺した張本人カーチス・ルメイは、「航空自衛隊育成に功績があった」として、後で日本国から勲一等を授与された。

国が国民をどれだけ馬鹿扱いしているのがこれで分かるだろう。

おとなしい小羊のような日本国民よ。

黙っているとなめられるだけだ。

「ゴネドク」という言葉があるだろう。

日本国を統治する主権者である日本国民には、行政担当者のまずい仕事に対して抗議する責任があるのだ! 

 

 

2005年12月5日

 

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