天地創造の1日は、24時間の1日である


天地創造の「1日」は、24時間の「1日」以外ではありえません。


「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。・・・
それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」 (出エジプト記20・8−12)

ここで、安息日を休む根拠が「神が同じことをされたから」ということにあります。

つまり、神は1日を休まれただから、あなたがたも1日休みなさい、と。

我々が1日休む根拠があいまいならば、その法律もあいまいです。神が休んだ1日の定義があいまいであるならば、法律としての我々の1日の定義もあいまいということになります。

神は我々が守るべき法律の土台を明示するために、自分の行為を根拠としておられる。なのに、その根拠となる神の行為があいまいであるならば、それは「根拠」にはなりません。

この1日を何億年と解釈する人々は、神の言葉を侮っています。

そもそも、同じ文章に登場する同じ言葉をまったく別の意味に解釈するという態度そのものが御言葉を愚弄している。

いいですか! 一方で、「日」は24時間の1日だが、他方で「日」は10億年だ、というならば、この箇所において同一の言葉を用いた神を実質的に嘘つき呼ばわりしているのと同じなのです。

これは、御言葉を改ざんする行為に等しい冒涜です。

聖書を改ざんする行為は、永遠の死に値するということを彼らは理解しているのでしょうか。

 

 

2008年7月8日

 

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