我々の働きが偽善者だという人間がいるので、答えよう。
偽善とは何か。偽善者とは何か。
だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。(マタイ6・2)
つまり、人に自分が善人であることを見せること。
そして、人から報いを受けようとすること。
彼らには、神からの直接の報いを待つという忍耐力がない。
また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。(マタイ6・5)
人に善行をしていることを見られるのを願う。
神にのみ祈るべきなのに、人にそれを聞かせようとすること。
そういう人は、神からの報いを受けられない。
人間から報いを受け取っているから。
もしこの働きが、人々に善行をひけらかすためにやっているとしたら、最高の馬鹿である。
そんな時間があるなら、商売をして金儲けしたほうがましだ。
だから、私は、人気を取るため、金儲けするために、キリスト教の指導者をやっている人間の気持ちがわからない。
キリスト教界で、人気者になり、顔を売り、大物と呼ばれることを願うなら、こんなことはしていない。
なぜならば、我々が述べていることは、今までの、確立された、キリスト教界への挑戦だから。
我々は、彼らの支持を受けられず、むしろ、追い出されてきたのだ。
もし教えにこだわらなければ、彼らの間にいたほうが利益がある。
しかし、我々は、聖書の教えを追求するために、その場所から出た。
どうして偽善者なのか?
イエスが福音書で言われている偽善者とは、
神からの報いではなく、人間からの報いを受け取ろうとする人々のことだ。
預言者は迫害される。人の歓心を買おうとしないからだ。
我々のこれまでの歩みを見て、偽善者だと思うなら、どこで人の歓心を買おうとしたか言ってみなさい。