非6日創造論者は御言葉の恐ろしさを知らない
非6日創造説を信じる牧師は、御言葉の怖さを知らない。
御言葉は両刃の剣として描かれている。
御言葉は、敵を倒すだけではなく、自分をも傷つける。
御言葉がサタンを倒すためだけに存在すると考えてはならない。使い方によっては、自分自身を切ることになりかねない。
「創世記の記事は科学的に不可能だ。だから信じない。」などとほざく教職者は、「そして朝があり、夕があった。第一日。」という御言葉によってバッサリ切られる。
これをどうして3千万年とか15億年とか、長期間と解釈できるだろうか。
「朝」と「夕」があったのだ!つまり、我々の一日と同じだ。
この教職者は、まさにこの御言葉を信じなかったので、その御言葉によって裁かれる。
彼は、御言葉によって切り倒される。
御言葉とは自分を滅ぼす武器でもある。御言葉を扱う者は、みなその破壊力に恐れおののかねばならない。
ぞんざいに扱ったり、疑ったり、侮辱したりすればただじゃすまない。
フランスの無心論者ボルテールは「これだけ科学が発達してくれば、後100年もすれば聖書なんてこの地上から無くなるであろう。」と予告した。彼の死後、皮肉にも、彼の家は聖書協会の倉庫になったという。
www.sam.hi-ho.ne.jp/hamano/nyumon/n03.html
聖書が、創造が6日で行われたと教えているならば、我々はそのとおり信じるべきだ。そうしないと、裁きが訪れるだろう。
2009年10月25日
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