四国の封印が解かれた理由
空海は、中国留学中に近くのキリスト教の寺院に通ったと言う人がいる。
たしかにそうかもしれない。
彼のような宗教的天才は、キリスト教から多くのものを吸収しただろう。
一説によると、彼が定めた四国の巡礼88箇所は剣山を守る結界を形成するためだという。
さらに、彼は惑わす狐を鉄の橋ができる時まで四国から追い出した。
これも、おそらく剣山のお宝を守るためだろう。
四国は空海によって2重の壁が作られ、封印された。
この伝説によれば、鉄の橋ができれば、四国の封印が解かれるわけだから、1988年に本州四国連絡橋ができたときに、四国の封印が解かれたということになる。これが第一の開封。
第二の開封は、おそらく阪神淡路大地震だろう。
それ以降、四国はもはや守る必要がなくなった。
守る必要がなくなったということは、お宝である契約の箱がもはや四国には存在しないということなのだろう。
剣山の洞窟にはもはや契約の箱はない。それを裏付ける一つの話がある。
明治天皇の孫小林隆俊牧師によると、皇太子が剣山のお宝の洞窟を封印されたという。
この話を1996年に聞いたときに、理由がわからなかった。なぜ封印する必要があったのだろうか。
今、思い返して、このように類推した。
つまり、四国の2重の封印が解かれて、契約の箱が剣山から取り出されたから、ではないかと。
今も剣山を掘って契約の箱を取り出そうとしている人々がいる。私はその一人と会ったことがある。相当な費用がかかるそうだ。
しかし、もはやそのような努力は無駄だと考える。なぜならば、おそらく契約の箱は、伊勢神宮の関係者によって取り出され、伊勢神宮の内宮の地下に収められたから。
ある有名な著者が地下で契約の箱を見たと証言しておられる。情報提供者に迷惑がかかるので実名を挙げることはできないが、おそらくこの発言は事実だろう。
伊勢神宮の内宮のご神体は、パーツが分散されてきたが、すべて揃う日が来るのだろう。
まずT字型の十字架があった。
次に、四国から持ってこられた契約の箱がその真下に置かれた。
残るは、頭の部分だ。八咫烏は、この部分を「首」と呼ぶそうだ。
首は、伊雑宮にある。そして、この首がT字型の上に置かれるとご神体は完成だ。
まさに聖書の象徴、十字架と契約の箱の完成だ。
十字架から落ちる血が契約の箱にかかるように下に置かれるというのは、旧約聖書の犠牲の儀式をよく表現している。
大祭司は、年に一度、至聖所に入り、契約の箱に犠牲の動物の血を注ぎかけていたからだ。
真の犠牲であるイエス・キリストの血は契約の箱に注ぎかけられなければならない。
十字架の下に契約の箱が置かれるということは、この犠牲が完成したことを象徴する。
残る、首の取り付けはいつ起きるのだろうか。
それが起きるときこそ、伊勢神宮は完成するではないだろうか。
それは、日本民族の復活の日かもしれない。
識者の検証をお願いする。
2007年9月29日
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