異端思想の恐ろしさ
細川さんも小泉さんも「神学論争を止めるべきだ」という主旨の発言をした。
ここで「神学論争」という言葉は「現実性のない空論の応酬」というような意味で用いられているのは明らかである。
キリスト教の死生観を聞いて現代人は、「何を御伽噺を!」と感じるかもしれない。
死後の裁きについて聞くと、まったく現実離れしているように聞こえるだろう。
しかし、死後の裁きはきわめて現実的なテーマなのである。
なぜならば、超越的な道徳律と、超越的な審判という思想がなければ、現実の社会に悪がはびこり、秩序が乱れるからである。
今の日本に殺人や詐欺が横行しているのは、「人生はこの世で終わり。死ねば無。だから、隠れてやれば、何をやってもいい。」という刹那的な思想があるからだ。
超越者を恐れるという思想がなければ、人間は堕落する。
人間に道徳的に生きることを促しているのは、良心の声であるが、それだけではない。神が人間の本能に植え付けられた、「死後の審判への恐れ」である。
人間は、多神教をまともに信じられない。心の奥底において多神教を否定し、それをバカにしている。
その証拠は、たとえば、飛行機事故でダッチロールをはじめた機内で「神様!」と叫ぶときに、その人の脳裏に七福神が浮かぶだろうか。
宝船に乗った7つの福の神に助けを求めるだろうか?
人間は本能的に自分の創造者を知っている。絶体絶命の状態で人間が対面するのは真の創造者=聖書の神だけである。
すべての人間は、心に刻印されている聖書の神を知っており、人生がその方によって導かれていることも知っている。
人間が人生の中において創造者と向き合わないのは、向き合うとやりたいことができなくなるからである。
ダーウィンの『種の起源』の初版本は出版と同時に売り切れた。ダーウィニズムの大祭司ハクスレーは、ダーウィニズムに人気があるのはフリーセックスができるようになるからだ、という主旨のことを述べている。
人間は、創造者を知りながら、しかし結局、自分に都合のいい教えを選び取るのである。
詐欺の被害に遭うほとんどの人に共通するのは、スケベ根性である。おいしい話に乗るのは、おいしい思いをしたいからである。
サタンが提供する異端思想は、普通の詐欺話などとは桁外れに有害である。
それは我々から永遠の命を奪い取る。
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16・26)
「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(ルカ12・5)
いかにおいしい話であっても、まことのいのちを失うような教えにはついていってはいけない。
聖書の教えから離れることが、来世においても、現世においても、恐ろしい結果を招くことになることを我々は肝に銘じなければならない。
2005年5月14日
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