この世界を神の命令によって作り変えよう


デカルトとカントが作り上げたヒューマニズムという名前の新興宗教によって、クリスチャンもがまんまと騙され、妙な聖書をつかまされてきた。

ここ150〜200年の間、クリスチャンは、敵の陣営に属する人々の意見に基づく聖書を読んできた。

どこで間違えたかよ〜く反省しないと大変なことになる。

問題は、このHPで何度も主張しているとおり、認識論である。

認識論について徹底して反省しなければ根本的な解決にならない。

デカルトは、人間理性を究極の権威と置いた。

その人間理性によって、神の言葉すらもチェックすべきだと。

つまり、人間は、神よりも偉い存在であると自己を再定義したのだ。

これは、究極的な誤謬である。エバがエデンの園において犯したのとまったく同じ間違い。

神は園の中央に「見るのによく、食べるのによさそうな実」を生えさせられた。

しかし、神は同時に「その実を食べてはならない」といわれた。

前者は、自然啓示である。「外見とか、食用によさそう」とかは自然が示すものだ。

後者は、特殊啓示。神の言葉である。神の言葉は、「食べるな」というもの。

どちらを優先すべきか。

自然啓示かそれとも特殊啓示か?

もちろん、後者だ。

後者よりも前者を優先したために、人類は罪に落ち、のろいを相続するはめに陥った。

この同じ間違いを、近代の人間は犯した。

特殊啓示よりも自然啓示を優先するという間違いを。

人間は、神の言葉を軽視した。そして、自然啓示であるところの進化論や心理学など学問を神の言葉の上に置いた。

もっともらしい理屈をつけて、聖書を切り刻み、自分で並べ替えたり付け加えるなどという極上の冒涜を行った。

もちろん、裁きは必ず来る。

神の言葉を無視したすべての人間に裁きは襲う。

我々、契約の民、神を主とし、全的献身をしている人間は、神の言葉を最高権威として据えており、それゆえ、人間の学問などには惑わされない。

人間の思弁に基づいて選択された今の聖書を拒否し、本来のもっとも信頼するに足るビザンチン本文を採用した聖書を選択する。

全部組み替えるべきだ。

今の世界は、ノンクリスチャンが、敵の原理に基づいて作り上げた世界だ。

あらゆる領域がサタンの誘惑に基づいて作り変えられている。

元通りにすべきだ。

この世界は神の世界なのだから、神の命令によって作り変えるべきだ。

 

 

2010年4月5日

 

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