権利と財を国から取り返す以外に方法はない


翻訳をしていてつくづく思うのは、人間の知恵のすごさである。学問の進歩は驚異的である。

統計学に関しては翻訳のためにかなり勉強したが、付け焼刃では無理と判断した。

これほどの頭脳を人間は備えているのに、政治については馬鹿なことを延々と続けている。

ちなみに、私が不思議に思うもう一つの分野は、進化論である。あんなばかげたものをまだ大の大人が信じている。

ちょっと頭を働かせれば、「無理なものは無理」と分かるはず。

「政治と進化論」これは、人間の頭が極端に働いていない分野である。

政治がどうして馬鹿かって?

いまだに政治家は「汚職を根絶します!」とか「クリーンな政治をします!」、「無駄遣いをやめさせます!」とか公約しているからだ。

役人や行政に汚職や無駄遣いをやめさせますということは、ゴキブリに手を洗えと命令するようなものである。

汚いものは汚い。生まれながらの性質として汚いものをきれいにするのは無理なのである。

役人だけではなく、人間に清さと誠実さを求めることは無理なのである。


「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒がある・・・」(ローマ3・13)

だから、汚職や無駄遣いを止めさせる唯一の方法は、「彼らに金を任せない」ということなのである。

政府から資金を引き上げる以外に方法はないのである。

マルクス主義は、人間を美化し、国に権力と金を集中させることによって理想郷が現れると考える思想だ。

しかし、国に権力と金を集中させて何が起こったか?

際限のない流血と粛清と無駄遣いと洗脳だ。

人間を信じるな。

これが聖書の教えであり、それゆえ、聖書の政治学とは、「人間不信」の政治学なのだ。

聖書は、その代わりに「チェック・アンド・バランス」の考え方を教えている。

つまり、人間はずるいことをするから、互いにチェックし合い、バランスを取るような制度を作れと言っているのである。

合衆国の政治システムはかつて、このような人間不信のシステムであった。(1930年代以降共産化が進んでからかなり人間信頼のシステムに変わった。)

大統領の任期は8年どまりである。

長期政権は堕落と独裁化に陥りやすく、危険だからである。

50%の税率を許している日本国民よ。

共産化した米国のもとで基本的な政治システムを作った戦後日本よ。

解決は、国を信用せず、権利と財を国から取り返すことだ。そして、できるだけ国に依存しない生き方を作り出すことだ。

それ以外には方法はまったくない。

 

 

2006年12月21日

 

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