領土問題は「仕える者」になることによって解決する
「『囲いに属さないほかの羊』とは誰だろう?」で取り上げている問題は、きわめて重要であり、取り組むべき新しい神学的問題ができつつあると言える。
離散ユダヤ人がこれまでスポットライトを浴びたことがあるだろうか。アカデミズムの歴史学は、離散ユダヤ人の存在を見逃してきたか、無視してきた。
しかし、聖書において、離散ユダヤ人の存在は、きわめて重要である。
クリスチャンも、とかく本国のユダヤ人にしか光を当ててこなかったが、ここで、もう一度離散ユダヤ人について考えるべき時ではないだろうか。
聖書を良く読めば、「囲いに属さないほかの羊」とは、離散ユダヤ人以外にはないということが分かる。
なぜ神は、バビロン捕囚後、ユダヤ人を一つに集めずに、離散させられたのだろうか。
バビロン捕囚は神の裁きであり、その終結は裁きの終結でもあるはずだ。
裁かれた者がなぜ離散したままにならなければならないのか。
許されたはずのユダヤ人がなぜ故国に帰らずに、(伝説によれば)東へ向かったのか。
本当は祖国に帰ることができたはずである。なぜ帰らなかったのか。
それには、ある目的があったからだろう。
それは、旧約宗教の宣伝である。
異邦人たちに旧約思想を広め、メシアの到来の準備をさせるためである。
離散ユダヤ人は、ゲルハルド・フォーク博士が言うように、アジアの諸国に散らばり、アジアの文化に大きな影響を及ぼした。
恐らく、中国の漢字、十二支、陰陽思想、道教、インド思想は彼らの影響だろう。
道教に六芒星があるのも、ユダヤから受け継いだと思われる。
日本の神話には、旧約聖書の創世記の影響が濃厚に現れている。
これまで歴史学から離散ユダヤ人という要素が欠落してきたため、中国や日本の文化がユダヤ文化に影響されてできたというと、トンデモ扱いされるのである。
私はいいたい。
このテーマをトンデモ扱いしたり、「tomiは変な領域にはまりこんだ」と思っている兄弟!
科学とは因果関係を説明できれば、トンデモではなく、仮説になるのだ。
古代ユダヤと日本のつながりなどというと「え〜っ!!!」と驚く人々に言いたい。
「あなたは、離散ユダヤ人の存在を忘れている!!!」
これで西と東を結ぶ連続線が見えただろう。彼らは東へ移動し、紀元前2世紀には、ある旅行記に「世界中どこに行っても、ユダヤ人の集団に会った」とあるくらい彼らは遍在していたのだ。
聖書が「囲いに属さない羊」という名で離散ユダヤ人を取り上げており、イエスは「彼らも導かなければならない」というように重視しておられていたならば、クリスチャンは、彼らを無視することはもはや絶対にできない。
離散ユダヤ人を取りこんだ神学の再編が必要である。
さらに、イエスは、紀元70年の来臨においてすべてを完了するとは言わずに、「異邦人の時代が終わるまでエルサレムは異邦人に蹂躙される」と預言され、紀元70年ですべてをまとめてしまおうとするフルプレテリズムをけん制しておられる。
結局、イスラエルの回復とは、領土的回復という民族の成立要素の回復を具体的に伴うという結論に行きつかざるを得ない。
それ以外に、「異邦人の時代が終わるまでエルサレムは異邦人に蹂躙される」をどう解釈する???
十字架後、「天地の王」となったイエス・キリストは、イスラエルを回復し、異邦人を集め、御民に全世界を支配する権威を与えられた。
だから、全土はイエス・キリストのものであると同時に、クリスチャンのものでもある。
この法的な権利を、具体・実際的な権利に変えるには、武力ではなく、伝道と教育が必要である。
クリスチャンがそうであるように、イスラエルも、「他者に仕えることによって、支配を拡大する」という方法をとって欲しい。
それが、エルサレムの回復をはじめ、イスラエルに約束された民族的領土を拡大する唯一の方法であることを理解して欲しい。
2005年6月1日
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