アイドルのファンになるということの恐ろしさ
ブランチの教会に派遣されて牧会していたときに、そこの子供たちが光ゲンヂのファンで教会学校でもキャーキャー騒いでいた。
私がはっきり「アイドルにキャーキャー言うのはよくない」というと、親の顔色が変わった。
アイドルのファンになることは、偶像礼拝を意味する。
「そんなアイドルぐらいに目くじら立てる必要はないでしょう」というのが一般の意見だろうが、問題はそんなに甘くない。
アイドルを漢字で表すと偶像である。
「モーニング娘。」のファンのコンサートでの行動をTVで見ると、まるで新興宗教である。
アイドルの歌に合わせて踊るあの異様な踊りには、恐ろしさすら感じる。
人間は礼拝する動物である。だから、我々は常に礼拝する対象を探している。
TVのブラウン管でしか見れなかったアイドルをじかに見て涙を流すのは、人間の「礼拝欲」が満たされたからである。
礼拝欲は、人間の根源にある願望である。
神は人間を礼拝する者として創造された。
しかし、人間はアダムにおいて別のもの(つまり、自分自身)を礼拝するようになってから、真の神がいても彼を拝むことをやめてしまった。
生まれながらに人間は偶像礼拝者である。
真理を見ても、そこに集まらない。
真の神を見ても、そこに行って礼拝しようとしない。
自分の欲望を優先するからである。
人間の目の前には常に2種類の寺院が置かれている。
一つは真の神の寺院。もう一つは、偶像の寺院である。
偶像の寺院の本殿には、「自分」という名のご本尊が祭られている。
すべての人間にはこの2つの神しか選択の余地はないのである。
真の神を拝むか、それとも、自分を拝むか。
今、宗教離れが進んでいるとはいえ、人間の礼拝欲はなくならないから、何かを拝まざるをえない。
大衆音楽家は大なり小なり自分が礼拝の対象になることを目指している。
しかし、だいたいはヒットしないで終わるか、しても一曲である。一曲では礼拝されるようにはならない。
たて続けにいい曲を5,6曲出してヒットさせれば、礼拝対象になれる確率は高くなる。
ある意味において「押しも押されぬ」歌手になれれば、礼拝者は定着し、めでたく新興宗教の教祖の誕生である。
新興宗教はどこでも誕生し得る。
予備校業界も同じである。パフォーマンスがうまくて、生徒の人気を得た教師のところには、勉強以外の目的で生徒が集まってくる。
予備校側は生徒集めに貢献するこの偶像化した教師を尊重し、多額の金を払う。
アイドルになるということは、恐ろしいことである。
なぜならば、神のライバルになるからである。
人間の間であがめられる者は、神の前で憎まれ、きらわれます。(ルカ16・15)
2006年10月22日
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