文明の崩壊を食い止める務めは男性にある
(1)
聖書において、男性と女性は、相互に補完的である。だから、社会は、男性だけでもだめだし、女性だけでもだめである。
存在論的・本質的にどちらが上で、どちらが下かという序列はない。
だから、聖書は男尊女卑思想ではない。
しかし、契約的に上下がある。社会を成立させるために神は男性をリーダーとして、女性を補佐として創造された。
社会を成立させる上で、両者には序列がある。
「本質的に価値に違いはないが、契約的・社会機能上、序列がある」。
これは、人間が三位一体の神の似姿だからである。
三位一体の各位格の間に本質的に価値の差はない。
しかし、契約的・社会的に序列がある。
子は父に従い、聖霊は両者から派遣される。
社長も社員も命の価値は同じであるが、会社組織を機能させるためには、序列が存在するという形態も神の社会の似姿である。
聖書の思想を男尊女卑と考えるのは間違っている。
(2)
女性は、男性と比べて現実的だ。
男性が世界や国家の問題を議論することを好むのに対して、女性は家庭や料理などの身近な問題を議論することを好む傾向がある。傾向の話であって、人によって個人差がある。
これはどちらが価値があるという問題ではない。世界や国家を論じることも、家庭や料理を論じることに価値の差はない。
どちらも必要なことである。
サタンがまず女性を誘惑したのは、女性が長期的、総合的にものを見る能力において男性よりも劣っているからである。
「劣っている」という言い方をしたのは、女性が価値が低いという意味ではない。
適性の問題である。
女性の哲学者はまれである。
神は女性を子供を生み、家庭を守る任務に召されたのである。
男性は仕事をして、事業を拡大し、社会に対して影響力を増すという使命を与えられた。つまり、神の国を「社会的に」発展させる任務に召された。
女性も神の国を発展させる任務に召されているが、それは「家庭的に」である。
人間の人格形成に強烈な影響を与える幼児期の人間を育てる主な務めは、女性にゆだねられているので、神の国は女性の働きに大きく依存している。
サタンは、女性の現実的で、遠い未来のことよりも、近未来のこと、世界のことよりも、家庭のことに関心が向く性質を利用した。
彼はエバに向かって「その実を食べても死にません。神はあなたがたが賢くなることを嫌っているのです。」と言った。
神は人間に意地悪をしているのだと、情に訴えかけた。
女性が占いにはまりやすいのは、男性と比べて理性面よりも感情面を重視する傾向があるからだ。
先日突然死した女優は、この弱点を利用されて破滅に追いやられた。
サタンは、女性に、「理想論を言っても食べていけなければ仕方がないぞ。不道徳なことでも何でもやって有名になれ」と誘惑したのだろう。
どのギャンブルでもそうだろうが、サタンは、少数のモデルケースを作り出す。
パチンコは、まさに騙しのシステムだが、玉が出ている人間を何人か配置する。おそらく、入り口付近の目立つところに置く場合が多いだろう。
カジノは、少数の人間に莫大な利益を与える。スロットで何億円も稼いだ人間をモデルケースで作り出す。
それを見た人々は飛びつく。しかし、ほとんどの人は負ける。
騙しのシステムはみなこのようなことをする。
ギャンブルなどで不思議なことに最初にあたることが多いのは、サタンがうまい汁を最初に吸わせてあとで搾り取る魂胆だからだ。
彼女もこのようなモデルケースとして選ばれたのだろう。
その後、日本においてポルノと非ポルノの境界線が崩れた。ポルノのユビキティ(普遍化)が起こった。
ポルノが有名になるための正当な方法として認識されるようになった。
賢い人間は、このような愚かな道を避ける。賢い人間は、長期的にものを見ることができるので、このような誘惑に乗ると最後に悲惨な結末を迎えることを知っている。
彼女は、占いに凝っていたそうだ。占いも同じように安易な成功達成法である。
聖書や科学は正当な知識の獲得法である。
占いとは、このような正当な知識の獲得法を回避し、安易に情報を入手しようとする試みである。
こつこつ努力するのが嫌いな人間が陥る罠である。
安易に手に入るものは、だいたい罠であり、それに引きずられて破滅に追いやられるのが常である。
サタンは、占いで人をひきつけて、有益な情報を一時的に提供する。信じきったら、次にその人を徐々に奴隷化する。
ああいう霊的なものは、最初は有益な情報を提供するが、一番知りたいことを絶対に教えない。
犯罪捜査の番組で、よく霊能者が出てくるが、ものすごく詳細な情報を提供するのだが、肝心なところで止まってしまう。
FBI捜査官マクモニーグルという人間が有名だが、彼は犯人が潜んでいる場所の詳細な地図を描く。しかし、決定的な情報に近づくとあいまいになる。
中学時代、クラスでこっくりさんをしている友人がいたが、最初は瑣末なことについては情報を提供するが、決定的に知りたいと思っていることについては黙った。というより、突然冗談を言い始めた。こちらを馬鹿にするような答えをした。
悪霊はひっかかった人間をあざ笑う。
(3)
占いは幻想だ。それは、人間を聖書の「契約的因果律」から引き離す目的でサタンが仕掛けた罠である。
細木数子のような人間は、「この世界は、聖書契約によるのではなく、運気とか運勢とかのようなもので動いている」という運命論的な世界観を吹き込むためにサタンが送り込んだ傀儡である。
占いは文明を破壊する。
聖書は、この世界は契約にしたがって動いているという。
人間は、運勢とか星の運行など環境によってではなく、倫理、つまり、「契約に従うか、逆らうか」によって上がったり下がったりするのだ。
善人は繁栄し、悪人は没落するのだ。
「いや、悪人が栄えていることが多いではないか」というかもしれないが、それは、短期的だ。
短期的に悪人は繁栄を許される。なぜならば、サタンがモデルケースとして彼らを選ぶからだ。
サタンは、「倫理は繁栄と無関係だ。ほら、あの暴力団を見ろ。まともに働いている会社よりも実入りが多いだろう。」と言う。
パチンコでジャラジャラ出している人のように、暴力団は、「悪を行っても栄えることができる」という偽宗教の宣伝のために選ばれている人々なのだ。
その証拠に、彼らの最後を見たまえ。
幸せになんかなっていない。
有名な田岡組長は、遺言で息子に「極道にだけはなるな」と言い残したそうだ。
(4)
我々は、賢くなるために、長期的にものを見るという訓練をつむ必要がある。
長期的に繁栄するには、契約を守ることである。
契約とは、律法である。聖書の法。
契約を守ることによって繁栄するという聖書の方法(契約的繁栄法と呼ぶ)は、忍耐が必要だ。
神は、頑固にこの繁栄法を持ち続ける者にしか繁栄をお与えにならない。
すぐにあきらめて、安易な方法に走る人間には富や名誉を与えられない。
そのため、我々がこの繁栄法を選択したならば、長期にわたってそれと逆のことが起きることを覚悟しなければならない。
「聖書に従えば幸せになれる。よし頑張ろう!」と決意した瞬間にサタンは意志をくじくような問題を起こす。
神が許されるからだ。
これでふるいにかけられる。
本物は残り、偽物は舞台から去る。
あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(ヘブル10・36)
2009年4月9日
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