教育権を家庭の手に戻せ
学校制度が異常なのは、「みんなと協調できる人間」になれと命じるからだ。
「みんなと協調」なんてできるはずがない。育ちも考え方も違う人間と協調できるだろうか?
法律や交通ルールなど社会規則を守るなどという低いレベルにおいて協調はできるし、しなければならない。
しかし、「仲良く」「合わせて」なんてできるはずがない。
できるとすれば、自分を殺す以外にはない。自分の信条やポリシー、宗教的信念などを殺す以外に、この種々雑多な集団の中で生き残ることは不可能だ。
個性的な人間、宗教的信念を持っている人間などは教室で生き残れるはずがない。
だから、今の学校教育を常識としてみる社会において、これらの人々は自分を欠陥人間と誤解するようになる。
子供のころにこういう価値観を植え付けられる人々は本当に悲劇だ。
子供は世の中のことをまったく知らないのだから、まじめに「自分はおかしい」と考えてしまう。
学校でのいじめで自殺する子供は本当に気の毒だ。
世界を見渡せばわかるように、人間は多様だ。そして、多様性は神の創造による。
だから、我々は多様性を尊重しなければならない。そして、その多様性を活かしつつ調和的な世界を築くべきだ。
今日の学校教育は、この世界を破壊している。個性や信条を殺し、単一の顔を持つ人間を要請している。
しかし、これはいびつな体制だから、ほころびがでてきた。
教育は神のもとにある両親に委ねられた事柄であって、国が関与し、教育基本法などで導くべきものではない。
国がやると、統一ばかりが重視される。なぜならば、国が期待しているのは、組織に順応し、効率的に作業ができる人間だから。
産業界などの期待に沿える人間が優秀な人間だから。
しかし、人間は神によって創造されたので、これらは第一の優先事項ではない。
あるべき人間とは、契約を遵守し、神の国に役立つ人間である。サタンの王国に対抗し、神の支配を拡大できる人間である。
その中には、仕事をきちんとこなし、責任を持って作業ができるということも含まれるが、基本はよい家庭を作り、次世代を同じ目的のために育成できる人間である。
労働によって家庭を豊かにし、財産を残し、所有する資産や土地を拡大し、それによって牧師や伝道師を養い、従業員を養い、御国に貢献する政治家を選び、地上を平和と秩序に溢れる状態に変え、それを維持、発展させられる人間である。
こういった聖書的な人間像と異なる姿に自分や自分の子供や孫がなっているならば、それは、自分が騙されているということを意味するのだ。
今日の学校教育をそのまま肯定することは、自分の子々孫々を地獄に放り込むことを意味する。
教育権を家庭の手に戻せ。そして、悪しき集団主義、世俗主義から子供を引き離せ。
自分の家系とこの世界を滅亡させたくないならば。
2007年12月3日
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