正しい異言とはどのようなものか?3
今の聖霊運動、異言運動は、ニューエイジである。
ニューエイジ運動は、既存の宗教に対する不満から生まれた。
だから、オウムもその一種だ。
あるオウムの幹部信者が、「既存の宗教には魅力を感じなかった」と述べた。
既存の宗教に解決がないというその既存の宗教には、カントのヒューマニズムが含まれる。
カントは、体系を作った。世界を解釈する一貫した体系だ。
しかし、この体系に対してすぐに次々と反発が起こった。
それが実証主義、実存主義、ニューエイジである。
実証主義は、カント観念論及びロマン主義によって学問が再編された際に、「実証的ではない。あたかも宗教のようになっている」と批判した。
実存主義は、カントの体系にはまっても、世界を解釈できるかもしれないが、個人、自分、実存について解釈できないではないか、と批判した。
総合、世界理念などから取り残された「自己」を救済するために実存主義は「人間を類として扱うのではなく、個人としても扱え」と主張した。
ニューエイジは、神秘主義に戻る運動だった。ニューエイジ運動と同時にオカルトが復活した。
キリスト教が入る前のヨーロッパの古い土俗宗教などが復活した。
これらすべて「反合理主義」である。
合理への対抗から生まれた教えである。
だから、ニューエイジが「霊」を尊重するという名目でキリスト教に入り、オカルトが侵入した。
聖霊という名で悪霊が入った。
基本は「反合理主義」である。既存の合理主義のシステムに対する反発から生まれたから、ニューエイジに汚染されたキリスト教も合理主義に反発する。
だから、霊的運動の指導者は、「聖書を研究すると暗くなります」とか「理屈ではありません。霊です。」などと言う。
心理学を適用するキリスト教も同じである。
心理学には、オカルトの要素が多分に入っている。
聖書の御言葉への忠実よりも、霊的体験、霊的実存が重視されるのは、聖書における聖霊の強調ではなく、ニューエイジの影響である。
クリスチャンは、キリスト教の名を借りたニューエイジ運動に注意すべきだ。
2010年6月26日
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