対人恐怖は偶像礼拝の結果である3


最近、スパムメールの数が半端じゃないくらい増えた。2Mくらいになる。おそらく意図的に人々の通信を妨害するためにやっているのだと思う。

さて、パウロは、神から離れた人間の人生を「無益」と呼んだ。


すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。・・・(ローマ3・12)

これは、自分に届いた重要なメールを捨てて、スパムメールを必死に貯めている人に似ている。

毎日無数に届くこの無駄メールを大切に保存してディスクを圧迫している。

これが神を捨てて、自分の理性に頼った人間の姿だ。

価値がわからなくなっている。

何が尊くて、何が無益かの。

ギリシャ語で罪を表す言葉ハマルティアの意味は「的はずれ」だ。

重要なものではなく、どうでもよいものを目指す。

人生全体が、そのどうでもよいものを獲得するために費やされる。

偶像礼拝は、木とか石でしかないものを大事にし、それに信頼することだ。

創造主であり、自分の主であるはずの神をないがしろにし、木や石を大切にする。

こういった的はずれこそが、人間の堕落の本質である。

だから、人々は、聖書を求めない。神の御心を求めない。神の御国を求めない。世界をエデンの園化することに関心がない。

神の命令、神の法を求めない。

神の国の拡大のために使うお金を無駄と考えている。

そして、あってもなくてもよいようなものに大金をつぎ込む。

私は今のキリスト教界を見ていて、牧師や伝道師が金を儲けて楽に暮らすためには、「御言葉をまっすぐに語らない」ことだと思う。

御心をまっすぐに語って、神の計画をずばっと示すと、貧乏になる。

状況は、旧約聖書の頃と同じだ。預言者は大切にされるのではなく、むしろ迫害された。

御言葉の健全な説教は、人気がない。

それをすると、かえって貧乏になる。

それをすると、かえって人が去る。

今の世界は、キリスト教界の内外を問わず「スパムメールを集めて、大切に保管する愚か者」に満ちている。

すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。(ローマ3・12)

 

 

2010年4月14日

 

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