聖書ブームが到来したらしい。
うれしいことである。田中宇氏のニュースレターの広告に次のようなものがあった。
■聖書ブーム到来 聖書ブームが来ていることに気づいているだろうか?
隔週誌「pen」3月1日号で「キリスト教とは何か?聖書とは?・・」という特集号が、あっという間に完売し、近年無い売れ行きだったようで、現在、永久保存版の大幅増補版5月12日号が書店で平積みになっている。
新潮社の雑誌「考える人」は「初めて読む聖書」特集。
書籍「聖書に隠された成功法則」も発売と同時にアマゾン総合1位を達成し、発売1ヶ月で5刷り、サンマーク出版で海外翻訳出版の最短オファーという快挙であり、こちらも現在、主要書店で平積みとなっている。
日本人が、キリスト教に帰るときが来た。
日本は、大化の改新まで世界で最初のキリスト教国のひとつであった可能性がある。
藤原氏によるキリスト教隠しがあって、日本があたかも仏教国であるかのようなことになっているが、古事記・日本書紀などを古い神話を見ると明らかに聖書の影響がある。
天皇制が、クリスチャン氏族であった秦氏によって作られたのであるから、この国の国体はキリスト教であると断定しても無理ではない。
伊勢神宮の心御柱が十字架であるという説も、荒唐無稽ではない。
日本がもともと、「救われた人々の逃れの地」であった可能性が高いからだ。
使徒の時代、つまり、紀元1世紀に、ペンテコステに集まった人々の中にパルティア出身者がいた。
パルティアとは、中国語で「安息国」といった。今のイランのあたりの国である。
パルティア出身者は、中国にも来ていて「安」という苗字が付いたという。
使徒の時代、契約の民がパルティアにすでにおり、そこが安息の国であった。しかし、その後、パルティアは内部分裂し、住民が散った。
彼らの一部がさらに東にやってきて、最終的に東の果ての日本を「究極の安息国」とみたててやってきたと考えることができる。
日本は、戦乱の絶えないローマ、イスラエル、ペルシャなど西の国々から逃れて東にやってきた人の最終目的地だったのではないか。
パルティアの近くにあった弓月国の人々がやってきて、秦氏になったのが歴史的事実である以上、我々は、世界史の流れから日本に早期にキリスト教が入ったと考えることに無理はないと思う。
しかし、サタンはその後、大きな挑戦に出た。
他の国々でやったように、日本からキリスト教を消し去ったのである。
大迫害があったのだろう。
そして、歴史上、キリスト教の面影は消えた。
クリスチャンである秦氏、そして、おそらく蘇我氏が、迫害によって地方に散ったのだろう。
しかし、「蘇民将来」の名前のとおり、この民は復活する。
日本人は、復活し、クリスチャンになる。
その時代が近づいたのではないかと思う。