字義的解釈と象徴的解釈の区別29
<Q>
長老教会の勉強会で黙示録の全体構造は一世紀から終末までの世界展開を八つの視点から予告している、七つの教会の姿を通して一世紀から現代の教会、終末の教会の姿を描いている。すでに現在までに第六のラッパまで吹かれた。と言ってました。改めて思うのは、進化論、共産主義、世界大戦の破壊力は教会の神学まで変えてしまうのだな、わずか百年ちよっとで、と思いました。ただ強力な後説派だった長老派がなぜ変わってしまったのか、私には不思議です。S氏の本にもピューリタンは後説を土台にしていた、と書いてあっても本当かいな、って思ってしまいます。多くの方がミレニアムを見てカルバン系の教会へ行っても、どれだけの人が後説を維持できるか疑問です。私は別ですが。教訓として学ぶべき聖書がぶっつけ本番の書物になったら我々は山から落ちてしまいます。
<A>
これは、黙示録の非プレテリズム的解釈であり、絶対に受け入れられません。
なぜならば、この書物は手紙であり、「当時の人々に向けて書かれている」からです。
黙示録では、「すぐに」という言葉が8個出てきます。
黙示録の出来事は、「すぐに起こるはずの事」(1・1、22・6、22・7、12、20)です。
イエスは「すぐにあなたのところに行」くと言われる(2・16、3・11)。
ここで「あなた」とは誰か?もちろん、この手紙の読者です。この手紙の読者とは誰か。もちろん、「アジヤにある七つの教会」(1・4)です。
アジヤにある七つの教会のクリスチャンはいつの時代の人でしょうか。紀元1世紀です。
21世紀の世界の出来事についてなぜヨハネは紀元1世紀の人々に「警告」するでしょうか?
21世紀の世界の出来事について語った後でどうして、「見よ、これはすぐに起こる。時が近づいているからである。」と言うでしょうか。
プレテリズム以外の解釈はみなこの矛盾を解決できません。
黙示録とは、イエスが古い体制(旧約のイスラエル)に裁きを下されるということを示した書物です。
イエスは福音書にあるように、神殿を壊して、自分の復活の体である新しい神殿を建設される。
もはや礼拝はイスラエルに限定されない。世界中で神礼拝が行われる。そういった新しい時代がやってくるということをこの黙示録は示しているのです。
我々は黙示録が示した新しい時代、イエスが王となって神の右に座っておられる世界に住んでいる。
歴史を通じて、御国は前進し、紀元1世紀に法的に完成したキリスト王国は、実質的にも完成に近づいている。
我々は、サタンの王国が徐々に滅ぼされていっている世界に住んでいる。
我々が活動すればするほど、この世界は御国に変わっていく。
その長老教会のような教えでは、こういったメッセージを伝えることはできません。
「これから世界に破局がやってくる。」というビジョンを見せられて、人々は何を思うでしょうか。
あきらめ以外の何物でもない。
破局が運命づけられているなら、「じゃあ、やっても無駄だ。」と考えるしかない。
これがキリスト教でしょうか?
こんな根暗な教えがキリスト教なのでしょうか?
教会は反省する時期にきている。
2007年2月5日
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