フルプレテリズムの解釈の間違い


> 黙示録20:12〜15の「最後の審判」ですが、これも
> 紀元1世紀の出来事としてしまうと、それ以降にこ
> の世に生まれた私たちはどうなるのでしょうか?

フル・プレテリストは、紀元1世紀に「最後の審判」があったと主張します。
しかし、パーシャル・プレテリストは、それは歴史が終わる時だと主張します。

フル・プレテリストの意見にしたがって「最後の審判」がすでに終わっているとすれば、では、我々の今生きている世界の善悪にはどのような決着が待っているのか?という疑問が起こります。

つまり、我々の行動はもはやさばかれることがないのか、と。

フルプレテリズムを信じると、我々に適用できる教えはごく限られたものになります。

我々が従来教会で教えられてきたような天国も地獄もなく、すでに新天新地なのだから、我々は裁かれることはない、と考える以外になくなります。

我々は、フルプレテリズムによって、虚空の中に投げ込まれるのです。

 

 

2005年2月7日

 

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