ヨブへのサタンの攻撃は、持ち物と家族、そして自分の健康に対する攻撃であった(ヨブ記)。
こういう攻撃は、神のために働く者にのしかかる。
(1)持ち物
サタンは主に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
あなたは彼と、その家とそのすべての持ち物との回りに、垣を巡らしたではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地にふえ広がっています。
しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」(1・9-11)
神は我々の周りに「垣」を巡らせておられる。しかし、サタンが攻撃し、神が許されて一時的にその垣が取り去られることがある。
サタンは、破壊者を送り込む。
妙な人間と知り合いになったら注意が必要だ。
彼らを通じて大きな経済的損失を与えられることがある。
その人が誰の紹介で来たかは重要である。
霊は霊を呼ぶ。人は同じ霊を持つ人とつながるから。
紹介者が信用のおけない人間である場合には、彼に紹介された人も注意すべきだ。
我々の経済を破壊しようとする者は、数珠繋ぎで次々とやってくる。
(2)健康
サタンは健康を攻撃してくる。
サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。
しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」
主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」
サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。(ヨブ2・4-7)
健康を何か霊的なものと区別して考えるのは聖書的ではない。
病気は、悪霊による。
病気を単なる物理的・生理学的現象として考えるならば、いつまでたっても治らない。
神は一時的に我々をサタンの肉体的攻撃にさらされることがある。
神の許可がどの程度おりているかによって、病気の程度に差がでる。
ある人には、神の許可が降りて、重病に陥ることもあるかもしれない。
しかし、すべては神の主権的配慮に基づいている。
クリスチャンだから病気にならないなどと聖書に書いていない。
いや、サタンはクリスチャンを病気にしようと狙っている。
神の許可がありしだい、彼は我々を病苦で悩まそうと考えている。
だから、我々は、「試練にあわせないでください」との主の祈りを唱えるべきだ。
それでも病気になったら、訓練と思うべきだ。
ヨブは、試練が終わってこう告白した。
私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。(ヨブ42・5)
我々は、持ち物の破壊と病気という2つの試練を受け、以前にまして神に近づく。
我々の試練は、神をはっきりと見えるようになるためである。