今のキリスト教の神学嫌いの本当の理由2
ある有名な教会の牧師と会ったときに、彼は私にこう言った。
「僕はね、神学論文なんてものを読むと頭が痛くなるんですよ。ああいうのは難しくて分からないから読まないんです。」と。
このような怠惰な牧師が許されるのは、教会がおかしくなっているからだ。
普通、「僕はね、医学論文なんてものを読むと頭が痛くなるんですよ。ああいうのは難しくて分からないから読まないんです。」なんていう医者にかかりたいと思うか?
医学でプロというのは、その最先端の知識をきちんと押さえているのが当たり前。勉強不足で、時代遅れですでに有害であるという結果が出ている薬物を未だに出している医者のところに誰がかかりたいか?
その道のプロならば、その道の学問については敬意を払うのが当然。
それを、今のプロのキリスト教指導者たちは、神学をやるな、だと。
だから駄目なんだ。
こういう我流を通しているから、次第に勢いがなくなって自滅する。
我々が何も言わなくても、ほうっておけば、こういう似非指導者は自滅する。
こうやって言ってもらっているうちが華だ。いいかげん、まともな批判を拒絶していると、誰も寄り付かなくなる。
2009年12月1日
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