偽福音主義の5特質1
マイク・スクラッグズ
合衆国とイギリスにおいて、それまで福音主義と呼ばれてきたものは、急速に偽福音主義に置き換わりつつある。しかし、現代の偽福音主義キリスト教の原理を分析すると、この間違ったキリスト教の形態が、非常に歴史的に根の深いものであり、絶えず聖書的教理に攻撃を加えてきたことが分かる。現代の偽福音主義には、5つの重要な原理または神学的なポイントが共通しているように思われる。これらの頭文字をとってTULIPと呼ぶことにしよう。
偽福音主義の神学的原理の第一条件は、寛容(TOLERANCE)のTである。寛容は、究極的・疑問の余地のない美徳とされる。この基本原理は、「どのような源から発していても、すべての道徳的・神学的真理は相対的であり、平等である」ということだ。この神学体系では、一つの真理と他の真理の間に優劣はない。そのため、「この世には絶対的な真理が存在する。それゆえ、ある人々は、深刻な間違いを犯している」と言う人を批判し、「受容と尊敬は、真理よりも重要である」と考える。偽キリスト教は、このように「寛容は美徳ではなく、道徳的に中立である」という命題について考えることをひどく嫌う。
どんなに説得を試みたとしても、これらの偽福音主義クリスチャンに「悪に対して、また、道徳的及び知的ナンセンスに対して不寛容になるべきだ」と考えさせることは不可能である。一般に、そのように試ると、「あなたの話を聞いていると頭が痛くなります。」という反応が返ってくる。イエスが教会に対して次のように語られたと言うと、彼らは非常に驚く。「しかし、あなたがたには責められるべきところがある。あなたがたは、イゼベルという女を野放しにしている。」(黙示録2・20)偽福音主義は、第一に、人間の生来の善性に対する信頼を説き、非聖書的な、民主主義的平等主義を教える。偽福音主義は、聖書を多用するが、彼らの聖書解釈の基本には、この民主主義的平等主義がある。彼らが好むのは、慰めを与える聖句であり、それが文脈からかけ離れていてもお構いなしだ。堅い真理や倫理的な戒めを避け、常識から乖離した教えでも、それが自らの甘ったるい感情的で寛容な道徳観を支持するならば選び取る。
偽福音主義のもう一つの原理は、多元主義(PLURALISM)である。これは、Tで始まらないが、寛容を示すものとして異端的価値観を受け入れる人々の間で非常に流行している原理である。この種の背教は一般に、主流メディアから尊敬や喝采を集めている。
偽福音主義の第2条件は、多数派や人気のある意見に対する安直な同意(UNTHINKING CONFORMITY)である。とくに、それらが主流メディア・出版・教育機関が支持している場合にその傾向が強い。・・・人気のある意見と矛盾する情報や分析は拒否される。・・・偽クリスチャンは、自分たちの評判や評価を貶めることになるかもしれない事実や考えに対して不寛容だ。ほとんどの場合、彼らの意見は、主要なメディアが伝えている見解と一致している。一般に彼らは否定するが、実際のところ、主要なリベラルなメディアは、真実を伝える情報源として、聖書以上に尊重されている。偽福音主義の大学生は、教授や学友の間で自分の評判を高めることになるなら何でも文句なしに受け入れる。大学のキャンパスにおける政治的に正当な環境は、偽福音主義にとって絶対的に必要な「安直な同意」の姿勢を養うための重要な訓練場と化している。「安直な同意」は、偽福音主義の大黒柱である。偽福音主義がまじめな分析と思考を拒否するからといって、彼らが愚かだというわけではない(たしかにその傾向があるにはあるが)。彼らがものを考えないのは、意識してそうしており、それは、意図的である。「安直な同意」の真の原因は、その道徳的な臆病にある。
2007年8月25日
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