日本人知識人は多神教礼賛をやめなさい
先日、ラジオであるキャスターが「中村選手がMVPをとったセルティックというサッカーチームの名前は、『ケルト』からきている。ケルト人は、多神教を信じており、日本人と似ており、他人に寛容でおおらかな民族である。」と語っていた。
多神教に関して、こういったとんでもない誤解がはびこっている。
多神教は寛容だって?
クリスチャンを大迫害したローマや徳川幕府は、多神教だった。
キリスト教や大本教を迫害した戦前・戦中の日本政府の公式宗教は多神教だった。
キリスト教が入る前の多神教を信じていたヨーロッパや日本などでは、人身御供が行われ、橋のたもとや重要建築物の下に若い女性が生き埋めにされた。
キリスト教が入る前の多神教のインドでは、未亡人は夫の火葬の火の中に飛び込まなければならなかった。
キリスト教が入る前の多神教の中南米の国々では、神々へのいけにえとして生きている人間の心臓が捧げられた。
これが寛容?心が広い?
ふざけるな。
日本の知識人よ、自分を騙すのを止めなさい。
いかに日本が世界で評価されるようになったとしても、自分だけで大きくなったように誤解してはならない。
日本がここまで導いてくれたのは、欧米のキリスト教文明だったことを忘れるな。
2007年4月24日
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