スウェーデンボルグについて


<A様>
僕は 「国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジン」を読んでいるのですが10月24日の最新記事で スェーデンボルグの事が書かれていました。
20年程前に東京の本屋でスェーデンボルグの本を 偶然読んで以来、久し振りに聞く名前で驚きました。彼は今の世の中と霊界を行き来できる人だったそうですが23,4歳ぐらいで若かった僕は インチキかなと思っていました。
しかし 彼が 聖書に関する本を書いていたとは全く知りませんでした。
「このスウエーデンボルグという人物は、実際には最大のキリスト教神学者である」と
小野寺氏は言われていますので もう一度スェーデンボルグについて勉強し直そうかなと考えています。

<tomi>
(1)
スウェーデンボルグは、三位一体の教理をはっきりと拒絶しました。それは初代教会において教えられていなかった教えであるからと。彼は、神には人格は1つしかないと教え、それは、主イエス・キリストであるといいました。つまり、彼はユニテリアンであり、それゆえ、クリスチャンではありません。聖書では、はっきりと神は3つの人格を持ち、互いに契約を結んで一人であられると啓示されています。


今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。 (ヨハネ17・5)

キリストは、世界の存在前に父なる神と「ごいっしょにい」たと証言されました。

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネ1・1)

ことばであるキリストは、「神とともにあった」と証言されています。

どうして、キリストが神と同じ一つの人格でしょうか?同じ存在であるならば「いっしょにいる」ということがどうして可能でしょうか。

聖書を素直に読むならば、キリストは父なる神とは別の人格でありながら、「神であった」ということです。

それゆえ、キリストは父なる神とは別の人格でありながら、同時に神であられる。

聖書は、はっきりと「(聖霊を加えて)神には3つの人格があり、それらの神の人格は互いに契約を結んで一つであると証言しています」。

夫婦は夫と妻とは2つの別個の人格ですが、契約的には一人です。夫婦の契約を結んで一人になっており、それゆえ、神の御前において一人として見られる。会社もそれぞれの社員は別々の人格ですが、互いに契約を結んで法人として一人として社会生活をします。

これとまったく同じことです。

社会は、このような「別のもの同士が約束によって一つとなる」ことによって成立しています。

だから、この世界において、「個人と集団」を合理的に扱える思想は聖書的キリスト教以外にはないのです。聖書において個人も大切ですし、集団も大切です。どちらも究極の価値を持っている。だから、個人を犠牲にして集団が成立してはならないし、集団を犠牲にして個人が成立してもならない。

このような考え方が基本となって、私たちは、調和のとれた健全な「個人と社会」を持てる。

(2)
また、彼は、信仰のみによる救いの教理を拒絶しました。救われるには、信仰と慈善が必要だと説きました。聖書は、信仰だけが救いの要件であると教えています。

なぜ信仰だけが要件なのでしょうか。

それは、人間の善行や慈善は、罪に汚染されているからです。私たち人間は、善行や慈善を行うたびに罪を犯します。よいことをすると、傲慢になります。善行を自慢したくなります。

これは、神の目から見ると「汚らわしい」ことです。だから、絶対者である神はそのようなものを救いの要件としては受け取れません。

ドブの水をコップに一滴垂らして客に勧める人がいるでしょうか。

一滴であっても中毒を起こすに十分です。神にとって人間を受け入れるには「完璧さ」「100%純粋」が必要です。なぜならば、神は「罪を裁かざるを得ない」からです。絶対に聖い方、法律を制定された方は、違法者をそのままでは受け入れることができません。

だから、我々人間は、完全に法律を守った人間に契約的につながる必要がある。つまり、キリストです。

私たちは、契約によってキリストと一体化することにより、完全に法を守ったキリストと同一とみなされ、「合法的に」神のもとに行ける。神は、キリストにおいて我々の刑罰を終えておられるので、いかなるわだかまりもなく受け入れることがおできになる。

(3)
彼は永遠の刑罰の教理も拒絶しました。

1749年から1756年に出版されたArcana C&#339;lestiaとHeavenly Secretsという著作において、人間の再生、生まれ変わりとは、物質的な存在から霊的な存在に変化することであると説きました。

創世記の創造の箇所については、「地球の創造が目的ではなく、創造の6つのステップにおいて、人間の再誕生や再生を説明することにある」と述べました。

このように、スウェーデンボルグは、ギリシア霊肉二元論の影響を強く受けた非聖書信仰の異端者であり、事実、1768年に異端裁判にかけられています。彼の著作が母国スウェーデンではなく、ロンドンとオランダで印刷されたのは、このような事情が背景としてあったからです。

(4)
スウェーデンボルグの信仰の体系は、啓示としての聖書を最高権威としてありのままに受け入れるのではなく、己の理性を究極とし、それによって聖書の中で受け入れることができるものとそうではないものを選び、受け入れないものを廃棄するという姿勢に立脚しています。

これは、もはや神の僕ではなく、それゆえ、クリスチャンではありません。明らかにカルトです。

彼の思想は、多くの人々に影響を与えましたが、それは、否定的な意味においてであり、彼を研究することによって場合によっては永遠の命を失う危険性もあると思われます。

 

 

2009年10月24日

 

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