評論家や預言者を追い出す体制はろくなものではない


預言者とは、「毛衣を着て、野蜜といなごを食べている」バプテスマのヨハネのようなものだ。

つまり、既存の体制の外にいて、自給自足、神からの支えで生きる人々である。

既存の体制の中にいて、そこからお金をもらうと、預言者の活動ができない。

神は教会に、働き人として、牧師だけを備えられたのではない。

預言者も備えられた。

プロ野球の世界は、選手や監督だけではなく、評論家が必要だ。

評論家という外部者の客観的な目によって、自分たちを正しく評価できるようになる。

評論家の使命の一つは、観客の意見を代弁することである。

選手や監督、球団の意向ばかりを反映しているようでは、評論家は生きていけない。

評論家を支える読者が離れるからだ。

共産主義の国が間違うのは、評論家や預言者を締め出すからだ。

言論統制は、為政者が自分の首を絞めるためにある。

言論統制することによって、自分を裁く者がいなくなる。

神からの裁きが近づく。

「言ってもらっているうちが花」である。

誰も言わなくなったら、もうおしまいだ。

評論家や預言者を追い出す体制はろくなものではない。

 

 

2009年5月6日

 

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