ファンダメンタリズムを正しく批判するために
今、聖書を無謬の御言葉と信じる人々をキリスト教原理主義者と呼び、イスラム原理主義と並べて狂信者のように描く人々が多くなってきた。
しかし、原理主義と訳されるファンダメンタリズムとは、「聖書の字義的[=一語一句にこだわる]解釈によって形成されたキリスト教教義に厳密に忠実に従う立場」(http://mb-soft.com/believe/text/fundamen.htm)を意味している。これは、宗教改革者が取っていた立場であり、狂信的でもなんでもない。
もし、処女降誕、復活、イエスの神性、再臨などを信じるファンダメンタリズムが狂信的であるというなら、カルヴァンもルターも狂信者ということになる。
一部に「キリスト教原理主義者の歴史は20年だ」という人々がいるが、聖書を神の無謬の御言葉と信じる信仰は、歴史的に見れば、けっして新しいものではない。むしろ、二千年のキリスト教史における主流派は常にこの立場であったと考えるべきだ。
では、どうして、ファンダメンタリズムとか福音派(*)とかが、今あたかも新しい運動であるかのように誤解され、注目されるようになったのか。
それは、ファンダメンタリズムが政治に積極的に関わるようになったからだ。それは、ちょうど今から30年前に始まった。
この理論を提供したのが、R・J・ラッシュドゥーニーである。彼は、1973年に『聖書律法綱要』を著し、社会は聖書律法によって運営されるべきだ、と説き始めた。
この意見を受け継いで、かなり具体的な政治的指針を作ったのがゲイリー・ノースである。
ゲイリー・ノースの考えは、ファンダメンタリストたちの心をとらえた。
その影響はレーガン大統領の選挙から現われ始めた。
しかし、ファンダメンタリストたちによるこの政治運動への関与には、2つの非キリスト教的異物が含まれていた。つまり、
(1)クリスチャンシオニズム
(2)統一協会
である。
(1)
ファンダメンタリストたちが、聖書を無謬の御言葉と信じないリベラリストと対抗して運動を開始した20世紀初頭に、すでにクリスチャンシオニズムという考えがこの運動の中に侵入していた。
ファンダメンタリストの中には、伝統的なアメリカピューリタンの終末論であるポスト・ミレ(後千年王国説)だけではなく、19世紀初頭に始まり、1870年代に英語圏のプロテスタントに広まったディスペンセーショナリズムのプレ・ミレ(前千年王国説)も入っていたからだ。
プレ・ミレとは、「キリストが世の終わりに物理的に再臨して千年間地上に祝福された王国を建設する」と信じる終末論の一派で、歴史上、キリスト教会はこの立場を「異説」とか「珍説」として退けてきた。
カルヴァンら宗教改革者たちも、この立場を採るアナ・バプテストたちを強く批判した。
現代のファンダメンタリストたちの多くが信じるディスペンセーショナリズムのプレ・ミレは、「イスラエル国が復活し、エルサレムが回復し、そこに神殿が再建され、そこから再臨のキリストが全世界を支配する」と主張する。
そのため、再臨を期待する彼らは、エルサレムに神殿が建つことを希望し、それを妨げる勢力をアメリカの政治・軍事力で押さえ込むことすら支持している。パット・ロバートソンの発言から、この意図は明らかである。
本来のファンダメンタリズムはすでに述べたように、「聖書の字義的解釈によって形成されたキリスト教教義に厳密に忠実に従う立場」でしかなかった。その中心メンバーであるチャールズ・ホッジやベンジャミン・ウォーフィールドらはポスト・ミレであり、そのため終末論には幅があった。
しかし、現在のファンダメンタリズムは、このようなユダヤ民族主義を信じるキリスト教徒が圧倒的多数派を占めているため、他の終末論を信じる人々の中には、ファンダメンタリストと呼ばれることを拒否する者もいる。
(2)
ファンダメンタリストの指導者の中に、統一協会と手を結んでいる人々がいる。ブッシュは統一協会から資金援助を受けており、ファンダメンタリストの中心的政治団体であるアメリカクリスチャン同盟がブッシュを支持していることから、一部に
ブッシュ=統一協会=ファンダメンタリスト
という関係ができあがってしまった。(**)
これら(1)と(2)という異物のゆえに、人々はファンダメンタリズムを誤解している。
最近、マスコミやインターネット上でのファンダメンタリズム批判がこのような背景知識がないために行われ、(1)と(2)を否定するファンダメンタリストにも被害が及んでいる。
ファンダメンタリズムの本質的部分と、そうではない部分を区別するよう、批判者各位に要請する。
(*)
福音派は、ファンダメンタリズムから分かれて出来た派で、ほとんどファンダメンタリストと違いはない。両者とも、伝道を重視し、リバイバルや海外宣教を行ない、酒・タバコ・映画・トランプを避け、アメリカの伝統的な価値観がキリスト教のそれと同じだと信じ、一般社会から自分たちを分離するために独自の組織的ネットワークを作ることを目指している。
違いは、福音派がリベラル色・エキュメニカル色を帯びた立場や人々(例:ビリー・グラハム、フラー神学校、クリスチャニティ・トゥデイ、新福音主義、ホイートン大学)を受け入れるのに対して、ファンダメンタリストたちはそれらをきっぱりと拒否するところにある。
しかし、ファンダメンタリストでも福音派でもない北米やイギリスの人々は両者を区別せず、どちらもファンダメンタリストと呼ぶ傾向があるし、1980年代以降の指導者たち(ジェリー・フォーウェル、ティム・ラヘイ、パット・ロバートソンら)が、「アメリカの人口の4分の1がファンダメンタリストである」と主張するなど、ファンダメンタリストと福音派の区別を意図的にあいまいにしようとしてきたことから、現在、両者の区別が消滅しつつあるというのは事実である。
(しかし、このような指導者を嫌って、自ら新ファンダメンタリズムと名乗る人々もいる。)
本稿では、ファンダメンタリズムと福音派とを区別しない。
(**)
米のネット情報に基づいて推測すれば、アメリカのファンダメンタリストのトップを引きずりこむために、統一協会は、ファンダメンタリストと同じ関心のテーマを掲げ、たとえば「私たちも同じように家族を大切にしています」と近づいてきたのだろう。
そして、「私たちの集会でメッセージをしてください」と頼んだと思われる。しかも、講演料は破格の金額だったらしい。
金に目がくらんだファンダメンタリストのリーダーたちは、次第に文との関係を深めていく。そして、ついには、文の団体の理事までやる羽目になる。
『レフト・ビハインド』の著者ティム・ラヘイや『地球最後の日』の著者ハル・リンゼイもこの罠にはまり、理事を務めた。ティム・ラヘイには、文から多額の献金を受け取ったという疑惑がある。
http://mb-soft.com/believe/text/fundamen.htm
2004年11月20日
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