字義的解釈と象徴的解釈の区別24


<Q>
再健主義の布教について聞きたいのですが。私が思うに、ナイーブな現代文化に犯された先進国よりは、まだ封健制が強いが、それと同時に野蛮性が残っている東欧やロシア、中国、中央アジア、アフリカなどの地域の方が布教しやすいのでは、と思うのですが。神が彼らをキリストを受け入れない者として創造されたと同時に正しいキリスト教を行う者としても創造された、と思うのですが。彼らには、いい意味で野蛮さが残っているので、石打ちの刑が実行出来るような気がするので、あまりグローバリゼイションに飲まれないようにして欲しいのですが。彼らは、ある意味、原石だと思うので。へたに民主化したら、石打ちの刑!そんな事、野蛮人がする事だ、先進国にふさわしくない。と言いますから。明治の近代化の頃の日本の様に目先の技術にとらわれて世界有数の虚無国家になった様に。私はアメリカ同様、EUの拡大も危惧しているのですが。御意見の方お願いします。


<A>
律法ということについて言えば、近代化されていない国のほうが再建主義の布教はしやすいかもしれません。
とくにイスラム世界は旧約律法の影響を強く受けているので、それほど受け入れるのに違和感はないと思います。
ユダヤ人は再建主義を本来は一番受け入れることができるはずです。
そして、日本も完全に西洋化されているわけではないですから、共感できる部分は多いのではないでしょうか。
私は、ディアスポラのユダヤ人と日本人の関係から、天照大神がイエス・キリストを表現したものではなかったかと考えています。そして、日本の神道と旧約聖書との関係があったのではないか、と。
日本の宣教がうまく行かないのは、近代化され、自然法というまったく聖書と異なる法体系を持つキリスト教、もしくはディスペンセーショナリズムの福音派のように法体系をまったく持たないキリスト教を導入されたからと思っています。

日本の場合は、仏教や儒教を導入した際にも、キリスト教に対する和魂洋才のようなことが起こったと加藤周一氏が述べていました。つまり、普遍的世界観を扱う仏教が日本に入ったとたんに、「技術化」した。儒教も同じように生活の道具というようなレベルに収まった。

これは、イギリスも同じ傾向があり、ヨーロッパ大陸が世界観を扱うのに対して、イギリスは現実に役立つものを求める現実主義を採用した。デカルト合理論に対するロックの経験論のように。

おそらく島国という自然環境のなせる業ではないだろうか。島国の民族は「形而上学」よりも「実用学」を重んじる傾向があるのではないか。

人口が稠密な環境で生活すると、「永久普遍」のものよりも「当座の問題解決」を優先するようになり、「要領」を重んじるようになる。東京の人が総じて要領がいいが、普遍的なことを考えるのが苦手という傾向はここからきているのか。

今のキリスト教が日本に合わないのは、「彼岸的」過ぎるからです。

政治も経済も土木も芸術も、「この世」のこととして切り捨てるからです。

本当は聖書は、この世を支配するためのガイドブックなのに、この世を支配することをあきらめたものだから、聖書の本質がまるで伝わらない。それゆえ、現実の生活を重んじる日本人の目には「関係ないもの」として映る。

アメリカやEUは、国際金融資本家のリードに従っており、その力を殺がれているところです。

これは我々には見えにくいところですが、確実にアメリカの国力は落ちています。

アメリカや日本やEUは独立性を奪われる方向に導かれている。そして、依存的国家として将来登場する「世界政府」に従属する。

このような陰謀があると考えています。

http://www.millnm.net/qanda3/34aaBIz65K7bU21909.htm

 

 

2007年1月29日

 

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