契約の区分3


(c)モーセの顔におおいがかけられていた

出エジプト記において、モーセは、律法の告知の際に、顔をおおわなかった。彼は光り輝く顔で、民に律法を告げた。律法を告げ終わると、彼は顔におおいをかけた。

「それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。
モーセが彼らを呼び寄せたとき、アロンと会衆の上に立つ者がみな彼のところに戻って来た。それでモーセは彼らに話しかけた。
それから後、イスラエル人全部が近寄って来たので、彼は主がシナイ山で彼に告げられたことを、ことごとく彼らに命じた。
モーセは彼らと語り終えたとき、顔におおいを掛けた。
モーセが主の前にはいって行って主と話すときには、いつも、外に出るときまで、おおいをはずしていた。そして出て来ると、命じられたことをイスラエル人に告げた。
イスラエル人はモーセの顔を見た。まことに、モーセの顔のはだは光を放った。モーセは、主と話すためにはいって行くまで、自分の顔におおいを掛けていた。」(出エジプト記34・29−35)

パウロは、彼がなぜ顔におおいをかけたのかという理由を「消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せない」ためであったという(2コリント3・13)。

つまり、顔のおおいは旧い契約が一時的なものであることを隠すためであった、と。さらに、それは、そのこと(旧い契約が一時的なものであること)を理解させないようにかけられた「心のおおい」でもあった(3・15)。

旧約が一時的なものであることを理解するには、「主に向」(3・16)いて、「心のおおい」が「キリストによって取り除かれる」(3・14)ことが必要である。そうしなければ、「思いは鈍」いままである(3・13)。

イスラエルの人々は心が鈍かったので、旧い契約が終わったことに気づかなかった(3・13)。 そして、旧い契約が継続していると考え、動物犠牲を捧げ、神殿礼拝を継続していた。

旧い契約は、一時的である。そして、それを理解するには、キリストを信じる必要がある。キリストを信じるときに、顔のおおいが取り除けられ、旧い契約が新しい契約の型であり、モデルでしかないということを悟るようになる。

新しい契約は永遠的である。
「そして、(私たちは、)モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。」(3・13)

それは消えるようなものではないので、最後を見られないように隠す必要がない。

まとめ:
* 新しい契約は、旧い契約とは比較にならないほど栄光に富んでいる。
旧い契約は、新しい契約の型であり、実体がないので、消え去る運命にある。しかし、新しい契約はキリストという実体があるため、けっして消え去らず、永遠的なものである。
* 旧い契約は、キリストを信じない限り解けない暗号のようなものとして提供された。モーセが顔のおおいをかけたのは、このことを象徴している。
キリストを信じた人だけが、旧い契約の一時性を理解した。
* しかし、イスラエルの人々は心におおいがかかっており、このことを理解せず、いまだに旧い契約に固執している。
キリストを信じることによって、このおおいは取り除けられ、イスラエルの人々も旧い契約の意味を悟り、新しい契約を受け入れるようになるだろう。
* 新しい契約を受け入れた人々は、顔のおおいを取り除けられているので、御霊の働きにより、主の栄光を反映させて、主と同じ姿に変えられていく(3・18)。

 

 

2005年10月29日

 

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