天下り禁止は無意味である
天下りを禁止せよと言われるが、今のシステムでは天下りはなくならない。
無理に禁止すると、職業選択の自由を冒すことになる。
問題は、国が道路や施設などの建設権を持っていることにある。
国が仕事を発注する以上、そこに様々な人々が群がる。
担当者との間に個人的なつきあいが生まれ、利権関係が生まれる。
国に金を与えているのは国民だから、これらの担当者と業者との間に生まれた利権によって、国民は不利益をこうむる。
利権関係は民間同士でも発生するが、民間の場合は、市場の審判が待っているから、市場での勝利に無駄な利権はすぐに解消される。
しかし、国の場合には、審判は「国家の消滅」以外にないから、担当者と業者の利権関係は容易には壊れない。
業者はどんなにチンタラ仕事をして工期が遅れ、工費が膨らんでもかまわない。利権関係がある限り、仕事を失うことがないからだ。
国の事業における担当者同士の関係は、人間と人間の付き合いである限り、利権関係から無縁には絶対になれない。
利権関係を断ち切って、公開性と流動性を保つには、その事業を市場の中に放り込むことである。
つまり、国に事業をさせないということである。
問題解決は、天下り禁止にあるのではない。
2006年10月17日
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