黙示録はキリストの再臨や世界の終末に関する書物ではない
一般に誤解されていることだが、黙示録は、キリストの再臨や世界の終末に関する書物ではない。
それは、イスラエルの終末に関する書物である。
(1)
プリンストン神学校教授ゲルハルダス・ヴォスは、「黙示録はもっぱらイスラエルの運命と関係している」と述べた(Richard B. Gaffin Jr., ed., Redemptive History and Biblical Interpretation: The Shorter Writings of Geerhardus Vos (Phillipsburg, NJ: Presbyterian and Reformed Publishing Co., 1980), p. 10.)。
神は、レビ記において、反逆するイスラエルに対する裁きは7倍であると4度述べられた。
「もし、これらのことの後でも、あなたがたがわたしに聞かないなら、わたしはさらに、あなたがたの罪に対して七倍も重く懲らしめる。」(レビ記26・18)
「また、もしあなたがたが、わたしに反抗して歩み、わたしに聞こうとしないなら、わたしはさらにあなたがたの罪によって、七倍も激しくあなたがたを打ちたたく。」(レビ記26・21)
「わたしもまた、あなたがたに反抗して歩もう。わたしはまた、あなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを打とう。」 (レビ記26・24)
「わたしは怒ってあなたがたに反抗して歩み、またわたしはあなたがたの罪に対して七倍も重くあなたがたを懲らしめよう。」(レビ記26・28)
聖書において7という数字は「完全さ、十全性」を表している。また、4という数字は、「地(とくにイスラエルの土地)」を表す(David Chilton, Days of Vengence, Dominion Press, p. 16.)。
土地は、祭壇のように、4つの角を持つものとして描かれている(イザヤ11・12、参照・出エジプト記27・1−2)。そこから4つの風が吹く(エレミヤ49・36)。イスラエルの宿営は、幕屋の周りに4つのグループに分かれて配置されていた(民数記2章)。
レビ記26章における7x4の裁きによって、神は、イスラエルが罪を犯し、反逆した場合、その地(=4)を完全に(=7)裁くということを伝えておられるのである(同上, p. 16.)。
7x4は、黙示録の主要な構造である。
1. 7つの手紙(2-3章)
2. 7つの封印(4-7章)
3. 7つのラッパ(8-14章)
4. 7つの聖鉢(15-22章)
それゆえ、黙示録は、反逆するイスラエルに対する審判に関する書物であるということが分かる。
(2)
さらに、4重罰について考察することによって、黙示録の性格はますますはっきりとする。
イスラエルへの神罰としての4重罰の表現は聖書において下記に登場する。
「わたしは四つの種類のもので彼らを罰する。――主の御告げ。――すなわち、切り殺すために剣、引きずるために犬、食い尽くし、滅ぼすために空の鳥と地の獣である。」(エレミヤ15・3)
「まことに、神である主はこう仰せられる。人間や獣を断ち滅ぼすために、わたしが剣とききんと悪い獣と疫病との四つのひどい刑罰をエルサレムに送る…」(エゼキエル14・21)
出エジプト記22・1では、「牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。」とある。
ジェームズ・B・ジョーダンは、この判例法の象徴的な側面について説明している。
「これらは、犠牲制度において、特に人間を象徴する動物であり、人間をはっきりと表現している(例:レビ記22・27、レビ記12章)。…
出エジプト記22・1で使用されている動詞『殺す』は、ほとんどの場合人間に対して用いられる。ラルフ・H・アレクサンダーは次のように述べた。
『この言葉がその語根の主要な意味で使用されたのは、3回だけである(創世記43・16、出エジプト記22・1、1サムエル記25・11)。この言葉は圧倒的に、擬人的に使用されており、殺戮者としてのイスラエルとバビロンに対する主の裁きを描いている。』(R. Laird Harris, Gleason Archer, and Bruce Waltke, eds., Theological Wordbook of the OT (Chicago: Moody Press, 1980), p. 341.)
またしても、これは、この律法の基本的、象徴的な意味を指し示しているのである。」(James B. Jordan, The Law of the Covenant: An Exposition of Exodus 21-23 (Tyler, TX: Institute for Christian Economics, 1984), p. 266.)
つまり、出エジプト記22・1は、牛と羊に関するというよりも、人間に関する律法なのである。
聖書において、主に、牛は「指導者」を表し、羊は「一般庶民(とくに貧困者)」を表すので、4倍の償いは「貧困者への抑圧」の罪に、5倍の償いは「権威に対する反逆」の罪に対すると考えられる(同上、p18.)。
黙示録における4重罰は、4倍の償いを表している。
イスラエルは、イエス・キリストを不当に拉致し、「殺す者のところに引かれて行く小羊」(イザヤ53・7)のように扱い、事実彼を殺してしまった。
神は、イスラエルに彼の血の責任を問われた。
また、神は、イスラエルに対して、貧しく、抑圧されていた初代クリスチャンへの不当な扱いについても責任を問われた。
黙示録においてイスラエルが「大バビロン」と呼ばれているのは、バビロンがかつてイスラエルを抑圧・殺戮したからである。今や、そのイスラエルが「羊を拉致し、ほふる者」と呼ばれているのである。
ちなみに、黙示録の他の個所において、イスラエルが「大淫婦」と称されているのは、神の妻の地位を捨てて、不貞を働いたことを表している(黙示録17・1,5)。
(3)
黙示録の、7x4の裁きは、構造的に、マタイ24章に対応している。
7つの手紙(2-3章)は、マタイ24・3-5、9-13の、「偽使徒、迫害、不法、愛の欠如、忍耐」に、
7つの封印(4-7章)は、マタイ24・6-8の「戦争、ききん、地震」に、
7つのラッパ(8-14章)は、マタイ24・14-27の「教会の証、荒野への逃避、大患難、偽預言者」に、
7つの聖鉢(15-22章)は、マタイ24・28-31の「獣の国の暗黒、大淫婦の滅亡、エルサレムにある死体に群がる猛禽、教会が集められること」に対応している。
(4)
黙示録は、エゼキエル書とも対応している。フィリップ・キャリントンは、「黙示録とは、クリスチャンの手によるエゼキエル書の書き換えである。その基本構造はエゼキエル書のそれと一致しており、解釈は、エゼキエル書に依存している。両方の書とも、前半は地上のエルサレムの破壊に終わり、後半は新しいエルサレムに関する記述である。」と述べた(Philip Carrington, The Meaning of the Revelation (London: SPCK, 1931), p. 65.)。
1. 王座の幻(黙示録4章/エゼキエル1章)
2. 巻物( 〃 5 / 〃 2-3)
3. 4つの災難( 〃 6:1-8 / 〃 5)
4. 祭壇の下でほふられる( 〃 6:9-11 / 〃 6)
5. 神の怒り( 〃 6:12-17 / 〃 7)
6. 聖徒の額のしるし( 〃 7 / 〃 9)
7. 祭壇の火( 〃 8 / 〃 10)
8. もはや遅くなることはない( 〃 10:1-7 / 〃 12)
9. 巻物を食べる( 〃 10:8-11 / 〃 2)
10. 神殿の測定( 〃 11:1-2 / 〃 40-43)
11. エルサレムとソドム( 〃 11:8 / 〃 16)
12. 怒りの杯( 〃 14 / 〃 23)
13. 土地のぶどう( 〃 14:18-20 / 〃 15)
14. 大淫婦( 〃 17-18 / 〃 16, 23)
15. エルサレムへの嘆き( 〃 18 / 〃 27)
16. 死体を処理する獣たち( 〃 19 / 〃 39)
17. 第1の復活( 〃 20:4-6 / 〃 37)
18. ゴグ・マゴグとの戦い( 〃 20:7-9 / 〃 38-39)
19. 新しいエルサレム( 〃 21 / 〃 40-48)
20. 命の川( 〃 22 / 〃 47)
(まとめ)
黙示録は、エゼキエル書やマタイ24章がそうであるように、「契約の民イスラエルに対する審判」に関する書物である。
黙示録に記されている、今日終末預言ととらえられることの多い出来事(大患難など)を現代の世界情勢に当てはめて解釈することはできない。
それは、イスラエルに対して、紀元1世紀に完結した。
世界は、紀元1世紀にすでに法的にキリストの御国になった。
「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」(マタイ28・18)
「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。『この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。』」(黙示録11・15)
この法的な御国を、実際の御国に変えるために働くことが、新天新地に住む我々の使命である。
謝辞:デイビッド・チルトンの名著Days of Vengenceを参考にさせていただいた。
2005年12月16日
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