木は契約的合一を象徴する2
すでに述べたように、木は契約的合一を象徴するが、これと同じ効果があるのがセックスである。
性交は、前にも触れたように、礼拝の象徴である。
男性性器は人間を表し、女性性器は宮を象徴する。
契約的合一が実を結ぶように、性的交渉によって子供が生まれる。
枝が木につながることによって実を結ぶように、性交によって二人は契約的に合一し、それゆえ互いに自分は相手の実を結ぶようになる。
だから聖書において、売春婦と寝ると、キリストの体である教会が売春婦になるといわれる。
教会の構成員、つまり、クリスチャンは、互いに霊的な血が通いあっている。
自分が食べたものは、他のクリスチャンにも霊的血液として流れる。
毒物を食して体のある部分だけは影響を受けないということがないのと同じように、血管を通じて、食したものは、全身にくまなくいきわたる。
だから、教会は、故意の犯罪者、罪人、悔い改めない人を除名せよと言われている。
よく洗礼者数や礼拝者数を誇るために、そこで洗礼を受けた人々でもうそこに来ていない人をそのまま会員としている教会がある。
行方不明になった人が何をしているか把握できないにもかかわらず会員としてとどめておくことによって教会に霊的毒物が回る危険性がある。
また、他の教会において除名処分を受けた人を安易に受け入れて聖餐に参加させる教会も同じように教会に毒を混入しているのだ。
洗礼準備者に対して教会は吟味を行う。それは、その人が本当に契約に入り、教会のメンバーとして同じ霊的血液を共有する値の人であるかチェックするためだ。
そうしないと、毒物を取り込み教会が病気になってしまう。
もし洗礼準備会でそのようなチェックが行われているにもかかわらず、その後の名簿の管理をいいかげんにしていたらそのチェックにはまったく意味はなくなる。
教会指導者は、会員の管理をしっかりすべきである。それは、教会を健全に保つ上で不可欠の義務だ。
2010年2月23日
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