なぜ進化論は死ぬのか?
遺伝子の構造が分かってから、進化論はほぼ死亡した。
それまで、進化論は、進化をアナログな変化と考えていた。
首を伸ばす必要があったから、キリンは首が伸びた、とか。
しかし、遺伝とは、アナログな変化ではなく、デジタルな変化である。
あたかも今のコンピュータのシステムと同じように、いくつかの要素の組合せで成り立っている。
それは、AGTCという塩基だ。
この塩基の組合せによって異なる形質が生まれる。
突然変異によって、この塩基配列に変化が生じたのが進化の動因。
生存に貢献する変化が起こった個体が生き残り、そうでないものは死滅した。
これは、とんでもない説明である。
なぜならば、だいたいランダムな変化がすぐれたものを生み出す可能性はおそらくゼロだから。
富士山の画像の0と1の2進法の生データをランダムに変化させると、いずれ何がなんだかわからないぐちゃぐちゃの画像になる。
しかも、進化するには、ある形質が生じるだけではだめで、それを支配する中枢の変化が必要である。
例えば、ある動物に羽が生えたとしても、羽だけでは無用の長物。邪魔なものをぶらさげて生きる動物は弱者になり、淘汰されてしまう。
羽を動かす中枢が伴わない限り、羽は生存に貢献しない。
これは、不可能である。
形質の変化を起こすDNAの塩基配列の変化と、それを動かす中枢の塩基配列の変化は、互いに独立している。
この独立した2つの事象が、ぴったりと符号一致、互いに有機的に関連していない限り、羽を動かして飛ぶことはできない。
これは、とんでもない確率である。突然変異によって有意な形質変化が起こる確率ですらほぼゼロなのに、それを動かす中枢の変化が有意に伴う確率は圧倒的にゼロだ。
どんなマイナーな変異であっても、中枢の変化を伴わなければ進化は進まない。
この奇跡中の奇跡が連続して起きることを期待しない限り、進化論は成立しない。
だから、進化論を捨てるべきなのだ。
2008年6月28日
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