何が信念だ?


首相は、自分の信念で明日靖国参拝するそうだ。

もう、こういった歴史を知らない人間がトップに立つと、ろくなことがない。

はっきり言って、その点昭和天皇は見識が深く、配慮があると思うが。

天皇メモに「A級が祭ってあるのでいかない」という趣旨の発言があったそうだが、もっともなことだ。

戦後日本は、サンフランシスコ講和条約に基づいて、戦争責任を認め、A級戦犯を処罰し、敗戦という現実を受け入れた上で再出発したのだ。

しかし、靖国神社の考え方は違う。この神社は、A級を祭ったという事実により、A級を無罪化し、戦争について別の解釈をしていることを公表したのである。

神社は国の機関ではないから、個々どのような解釈をしようが自由だが、しかし、その神社に国の首相が公の立場で詣でるということになると、その神社の見解を受け入れているということを意味する。

だから、首相はじめ公的な立場にある人々は、公人としての参拝を控えなければならないのである。

「あの戦争は防衛戦争だった」などと言っている人間が政治家として国民の代表者となっていることを我々は恥じるべきである。

ロシアが攻め込む恐れがあるから、満州を開拓し、防衛線を張った?

これが防衛か?

自分の家を守るために隣の人の家を奪い、そこにいろいろな防犯設備を付けることが防犯行為になるか?

「汝、隣人の家を欲しがってはならない。」

日本は、第十戒を破ったのである。

「汝、盗んではならない。」

日本は、第六戒を破ったのである。

「汝、殺してはならない。」

日本は、第五戒を破ったのである。

これらの罪の反省を基として、日本が再生できたのであれば、いつもそこに還らなければならない。

それを、「仕方なかった。ハル・ノートを突きつけられ、仕方なく戦争に突入した。」などという言い訳をしている限り、その人間はいつまでたっても進歩できない。

もしクリスチャンで、あの戦争を正当化するような人間がいれば、その人間は、基本的な部分において

悔い改めができていないのである。

どんな理屈をつけても、あの戦争は罪であり、その罪をごまかす神社も偽りであり、そこに参拝する人間も反省心のない俗物である。

中国・韓国が激怒するのも当然である。

 

 

2006年8月14日

 

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