分裂は避けられない
5年くらいあるディスペンセーショナリズムの家庭に招かれて、家庭集会を開いていたが、ディスペンセーショナリズムを巡って議論になり、そこから実質的に追い出されてしまった。電話がブロックされている。メールを出しても返事がない。
思想的な溝は、どちらかが変わらない限り埋めることは不可能だ。
私はこういったことを頻繁に体験しているから、だいたい分裂するころあいが分かる。
最初は、共通できる事柄で対話しているが、次第に対立が深まり、結局、分裂する以外にはなくなる。
無用な対立は避けるべきだが、思想信条的な対立は当然の事柄であって、回避すべきではない。時期がくれば、そうなる以外にない。
聖書はそれを「当然のこと」と述べている。
異端は1,2度戒めて付き合うな、と。
しかし、最初に和解の努力はせよと。
イスラエルが戦う場合に、最初に相手に和解の使者を送れと命令されている。
我々の対人関係においては、最初から敵とみなすべきではなく、最初和解の努力をすべきだ。しかし、和解ができない段階になったら分かれることだ。
それ以上は、神の御手に任せることだ。神が正しく導き、裁きをつけてくださるだろう。
和を尊ぶということは至上命題ではない。なぜならば、目的は、聖書的世界を拡大することだから。
真理において妥協し、異端的教えも受け入れてうまくやろうとすると、自分も異端になる。
サタンが目指しているのは、黒と白を灰色にすることだ。すべてを混沌の中に巻き込むこと。
善も悪も、真理も虚偽も関係ない世界にすること。
ヒューマニズムに騙されると、「宗教は対立を助長するだけだ」と考えるようになる。
実際はヒューマニズムとは、すべてを自分の宗教の中に巻き込むことを目指しているのに。
ヒューマニズムはけっして寛容ではない。それは、極めて排他的な宗教だ。私はソ連で暮らしたから知っている。スパイ、KGB、密告、暗殺、粛清。。。
聖書では、意見が異なる場合に、それを放置せよという。別れてあとは、神に委ねることだ。もちろん、他の教会に警告を発することはすべきだ。なぜならば、知らずに異端を受け入れる危険があるから。
しかし、執拗に追いかけて、罰することはしない。
自分の手で何でも決着をつけようとするのはサタンの方法だ。スターリンは、メキシコまで刺客を送って政敵トロツキーを暗殺した。
分離は避けられない。
これは選びの問題である。異端を信じる人はそのように定められている。真理を受け取る人もそのように定められている。それが、それぞれの人生の割当てだ。
我々が目指しているのは、「人を真理を受け取るように変えること」ではなく、「真理を受け取るように定められている人を探すこと」でしかない。
選ばれていない人にいくら語っても無駄足を踏む以外にはない。
2007年12月3日
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