御国の象徴としての被造物


(1)
イエスは宣教を開始されたときに「神の国が近づいた」と宣言された。

そのとおり。神の国はもうすぐ来ようとしていた。

イエスが十字架につかれ、復活、昇天されて、ついに神の国が到来した。

イエスは神の右の座にすわり、世界の王として君臨された。

それ以降、世界は神の国である。

世界のすべての権威の上にキリストがおられる。

この世界はすでにキリストの王国、神の国、天国である。

いまだに神の国はまだきていないと考えている人々がいる。

プレ・ミレのディスペンセーショナリストである。

彼らは、再臨がないうちはこの地上は神の国ではない、いやむしろ、サタンの国だという。

完全に聖書を誤解している。

この世界は、神の国であり、我々クリスチャンは天のところに座っている。つまり、我々も世界の王である。

「何を寝ぼけたことを言っているのですか。我々のような非力な人間が王であるはずがないでしょう」という人がいる。

こういう人は、聖書啓示よりも自分の感覚に頼っているので偶像礼拝者である。

聖書がそのように啓示しているのだから、そのとおり信じるのだ。

それ以外に偶像礼拝を避ける方法はない。

聖書が○○だ、と宣言していれば、我々の義務は、ただ「はい。○○です」ということだ。

今教会が力を失って、信徒がどんどん減り、無牧の地方が増えているのは、聖書を丸ごと信じることをやめたからだ。

聖書に頼るのではなく、自分の感覚とか感情などに頼っているから裁かれているのだ。

(2)
聖書によれば、世界は2つに分類できる。

それは、救われた部分と、滅びる部分である。

それはノアの箱舟の構造を見ると分かる。

ノアの箱舟は、救いの象徴、イエス・キリストによる救いを表している。

外にいて水に飲まれた人々は滅びの象徴。イエス・キリストを信じないで地獄に行く人々である。

聖書では、前者の象徴は陸であり、後者のそれは海である。

イスラエルの象徴は陸、異邦人の象徴は海である。

箱舟は、3つのパーツに分かれていた。

3階建てであった。

これは、救いの世界の中に3段階があることを示している。

創造の際に、神は海から3段階でエデンの園を作られた。

海から陸を出し、陸からエデンを作り、エデンから園を作った。

陸は救いであるが、救いの中にも3段階がある。

この3段階の構造は、聖書のいたるところに出ている。

幕屋は、囲いの外が滅びの世界。囲いの内側が救いの世界である。

囲いの中は3段階に分かれている。

庭―聖所―至聖所である。

段階を踏むごとに神に近づくようになっている。

神社も同じ構造になっている。

境内の外は滅び。内側は救いを象徴するのだろう。庭があって、拝殿、本殿がある。

境内の中に入るには、鳥居をくぐらねばならない。

赤い鳥居はイエスの血の犠牲を表すのだろう。

イスラエルの幕屋でも、入り口で犠牲の動物の血が流された。

カバラにおいて、この救いの3段階は基本である。カバラの生命の樹は、3段階に分かれている。
http://www.millnm.net/qanda3/tol3.jpg

そして、神道においても。
http://www.millnm.net/qanda3/treeoflife.gif
http://www.millnm.net/qanda3/17KD6QH4cL7mo87563.htm

世界において御国を象徴するものは、3段階の構造になっている。

金銀銅、太陽月地、相撲の位階制度など。
http://www.millnm.net/qanda3/55gC1765c3C659665.htm

神は女性を男性にとって天国として造られた。

雅歌を読めばすぐに分かる。

女性は御国の象徴である。

だから、男性誌に女性の裸体が載っているのだ。

男性が求めるように女性の体は作られており、それは3段階になっている。

女性のパーツで男性が惹かれる部分は3段階になっている。

キリストが教会を求めることが男性による女性の求愛において表現される。

そういう秩序なのだ。

聖書の世界観は、我々が学校で学んだ進化論の世界観、デカルトの機械論的世界観とはまったく違う。

すべての意味があり、それは、神と契約の民の関係を象徴している。

(まとめ)

大きく分けて、世界は、契約内の世界と、契約外の世界に分かれる。

そして、契約内の世界は3段階の構造になっている。

3段階の構造は、御国を象徴するものに現れている。

その顕著な例は女性の体である。

 

 

2010年2月21日

 

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