現在正しい流れに立つ人は・・・


> 2)イルミナティ
> 「ミレニアム」ニュースレターの復習をしておりましてイルミナティについて気
> がついたことがございました。
> ディスペンセーショナリズムはイエズス会のラクンザが創始者である
> イエズス会はイルミナティの下部組織である(ウェブサイトの組織図に明示され
> ている)
> イエズス会は第二バチカン公会議を強力に推し進め、エキュメニズムとリベラル
> 神学でカトリック信仰の壊滅に成功した
> 日本のイエズス会の最高幹部の一人が上智大学の百瀬神父
> 百瀬神父は一般・初信者向けの「下からのキリスト論」で、そして上智大学神学
> 部の講義でキリスト教信仰を破壊している
> 第二バチカン公会議に従うカトリック中央協議会は百瀬神父の見解を支持する
> 遂にFEBCを征服して全国放送で「イエス・キリストだけが救いではない」を「教
> 団教派を超えた」普遍的メッセージとして流すことに成功した
> 初信者や、キリスト教にふれて間もない人は信仰を失う
> 日本人の正統なキリスト教信仰はこうして根絶される
> 中には真面目な福音主義のクリスチャンがいて「そんな馬鹿な」と教会の牧師に
> 詰め寄るかもしれない
> しかし日本の福音派はほぼ全面的にディスペンセーショナリズムである
> 振り出しに戻る

これは事実でしょう。
イルミナティはキリスト教信仰の破壊に成功してきました。
聖書信仰を堅く保ち、セオノミーとポスト・ミレを堅持して行くしかありません。

> 3)Auburn avenue神学
> Peter Leithart、Douglas Wilson、Steve Wilkins、Norman Shepherd、Steve M.
> Schlissel・・・
> そうそうたる「再建主義者」のメンバーがAuburn avenue神学支持者に名を連ね
> ているのを見て、流石に落胆を禁じ得ませんでした。

人間は、最後までどうなるかわかりません。
主の選びがあれば、道から外れることはないですが、そうでなければどんなに立派な先生でも異端に落ちるでしょう。
私たちは、自分が間違った道に入らないように祈って謙遜にしているしかありません。

> ここで御教示頂きたいのですが、Auburn avenue神学に立つと、救済論・贖罪
> 論・契約論全てが崩れますね。ウェストミンスターが絶対ではないにせよ、反信
> 条主義によって異端への道まっしぐら、だと思うのですが、そうしますと、彼ら
> の著作や論文はどう扱うべきなのでしょうか。注意して読めば「盥の水と共に赤
> 子を・・・」しないで学ぶことができるのでしょうか

教えによってえり分けることです。
再建主義の著者で、利益になるものは吸収し、そうでない部分は捨てる。
こういう個別の選択しかありません。
私は、スミス氏から多くのことを学びましたが、オーバン・アヴェニュー神学の部分(教会の学習会ですでにこの考えを述べはじめていました)は受け入れることはできませんでした。

> 4)教会の学び
> 「同性愛者の牧師?いったい何を考えているのですか・・・第1テモテ4:10ま
> で普遍救済にとるメッセージがほとんどですね。日本ばかりではないですけれ
> ど、日本は目に余ります。普遍救済は聖書の教えに反することがどうしてわから
> ないのですか・・・律法廃棄は間違いなく異端です。もちろん「律法主義」は誤
> りですよ。律法の行いで救われるのではない。あくまで救いは信仰によるので
> す。恵みによるのです。しかし、律法は神様のみこころそのものなのです。救わ
> れた私たちは律法の教えを守るのです。古い肉では出来ない。だから聖霊充満を
> 求めるのです。イエス・キリストは律法の完成者とあるではありませんか・・・
> 翻訳の問題だけではないと思いますよ。やはり神学校が弱いのですね。・・・
> えっ、律法を制定したのは悪鬼的天使の?なんですか、それ?まさか教役者がそ
> んなこと・・・アルミニアン神学にしてもまともな人ならそんなこと言いません
> よ。しかし、O先生、よくもそんな中で聖書信仰を守ってこられましたね。」
> セオノミーは明言されないけれども、聖書律法の重要性は聖研だけでなく、礼拝
> 説教でもきちんと説かれる。
> ポスト・ミレではないけれども、楽観的無説、というか、キリストの勝利の上に
> 立って神様の栄光をあらわすことを信条としておられる。

この先生、セオノミーについては問題はないでしょう。
ただ、ポスト・ミレについては、注意が必要です。
終末論の内容は、必ず牧会やその他の生活において現れます。
長期的に見て、中途半端な立場は首尾一貫した立場によって置き換えられます。
まあ、日本において首尾一貫した納得のいく立場を取る教会は皆無だと見てよいでしょう。
ですから、我慢して通うしかないでしょう。

> 「ミレニアム」で培って頂いた信仰を前進させられるチャンスがようやく到来し
> たのです、が。
> 「良い本も出ていないのでしょう?・・・ホッジ?ウォーフィールド?ヴァン・
> ティル?みんな古いですよ。確かに改革派神学は良い物を残しましたが、それみ
> んな古いです。今は新しく神様の真理が広がっています。ロイドジョーンズ先生
> はそれらをみんな読んだ上で発展させたのです。ロイドジョーンズ先生にみんな
> 書いてあります。」
> うーん・・・ヴァン・ティルは古い、ですか。

たしかに、ホッジやウォーフィールドは、ラッシュドゥーニーを読むと旧さを感じますが、ヴァン・ティルは、基本中の基本であり、「旧い」というような形容詞をつけることはできません。
ヴァン・ティルは、乗り越えるものではなく、土台なのです。ですから、それを踏まえるべきもので、この先生のような軽視の仕方は問題です。まだ問題の本質が理解できないのでしょう。

ロイドジョーンズは、ホッジやウォーフィールドと比較してもお話にならないくらい中途半端です。
ラッシュドゥーニーを読んでから、ロイドジョーンズを読むと、信仰が不徹底なので、つまらないでしょう。
ロイドジョーンズは、我々にとっては後退以外の何者でもありません。
学ぶ必要はないとすら言えるでしょう。

> まだ全部読んでいないのですが、tomi先生がおっしゃったように、ロイドジョー
> ンズは、確かにつまらないです。聖書の権威は強調されていても、ヴァン・ティ
> ルほどの説得力なし。三位一体論の考察は皮相的(economyを否定して三位は同
> 格だと述べ、奥義は全て不可知領域に封印)、黙示録の解説は未来派解釈に凝り
> 固まっていて悲観的この上ない。
> 不安材料なきにしもあらず、なのであります。

おっしゃるとおりです。
まさに、不徹底で、旧い改革派の信仰の領域を出ていない。

> 明日からの2009年は、まず、自分自身を再建して、少しでも、正統なる信仰、
> ヴァン・ティル〜ラッシュドゥーニー主義の実践の歩を進めたいと考えております。

そうですね。ヴァン・ティル〜ラッシュドゥーニーの流れだけが、未来のある流れです。
後ろを振り向かずに前進するには、ラッシュドゥーニーを抑えておく必要があります。
ただし、ラッシュドゥーニーには、オーバン・アヴェニュー神学の萌芽があります(業の契約の理解が不徹底)ので、この点は注意が必要です。神学面では、完全無欠の立場にたつ人は現在いないのではないでしょうか。
ゲイリー・ノースは、神学者というよりも、社会学者の面で貢献していますが、パーシャルプレテリズム、非オーバン・アヴェニュー神学、契約神学、ヴァン・ティル前提主義を正統的に持っている唯一の人ではないでしょうか。

 

 

2008年12月31日

 

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