予定しない神は神ではない
<fms様>
ニック・バーグ首切り事件は、神の意志か?
・・・ということは、あの首切り映像は、すでに死んでしまったバーグさんの古い死体を切っていたのでしょうか。
あの映像がニセモノであったとしても、バーグさんの死体は発見されているのですよね。
しかし、誰がどのような仕方で死んだにせよ、キリスト教では全ては神によって予定されていたことなのではないでしょうか。
fms
<tomi>
神はすべてのことを予定されました。
予定されなければ、神は予期せぬことに影響されることになります。
神が影響されるならば、神は絶対ではなく、神は基準になれません。
神は無から世界を創造されたのであり、神をもさばく基準などありません。神ご自身が基準です。
ここにおいて、予定説を信じないすべての立場は、神を否定する無神論だということになります。
たとえ彼らが「私は神を信じる」といっても、影響されるような神は、絶対基準ではないので、彼らが信じる神は神ではない。
もし神がすべてを予定されたとすれば、神はバーグ氏殺害も、イラク戦争も、原爆投下も、すべて予定したのか、という疑問が起きますが、そうです、としか言えません。
え〜っ、神がそんなむごいことを歴史上で起こすことを予定したのか、という疑問に対して、そうです、としか回答できません。
それでは逆に質問すると、「神はバーグ氏が殺害された時に、不意の出来事でびっくりしたのか。」と聞きます。
神が影響されるならば、そこで神の絶対性は崩れ、究極的基準になれませんので、「評価される者」となり、被造物と同一ラインにのることになります。
つまり、神は神でなくなります。
2004年6月20日
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