最近改めて『失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎』(飛鳥昭雄・三神たける著・学研)を読み返してみて驚いた。
まさに私がずっと考えていることを三神氏が「まえがき」で表現されている。
氏は、日本人ほど自国の古代史をわかっていない民族はいない、という。その理由は、事実を故意に隠されてきたからではないだろうかと。
私は思う。本当の古代史は一般大衆に隠されているのではないか。実は日本人の本当のルーツ、古代史はかなりのところまで判明しているのではないか。だれかがそれを故意に隠しているため、われわれは混乱を繰り返しているのでは――。そんな勘繰りをしてしまうほど、この日本の古代史はおかしい。
では、なぜ隠されているのか。
氏は、「それは未来にかかわることだから」という。
そこで、考えた。逆転の発想が必要だ。もし、仮に真実の日本の古代史がある意図のもとに隠されているのなら、なぜ本当の古代史を隠す必要があるのか。その理由とは、いったい何か――。この問いを続けていったとき、私はある言葉を思い出した。だれから聞いたのか、なんの本で読んだのか、今となってはまったく思い出せない。その言葉とは、こうだ。
「歴史を知ることは、未来を知ることにほかならない」
古代の歴史を隠さなければならない本当の理由はひとつ。それが未来にかかわることだからだ。
そして、その未来とは、日本のみならず、世界と関係があると。
それがわかってしまうと、今の社会システムがまったく変わってしまう。日本のみならず、世界中に与える影響があまりにも大きすぎるのではないか。
この視点から古代史を研究していったとき氏はある人物と出会ったという。その人物の名は飛鳥昭雄。「一般の日本人が知らない情報をもち、それらを漫画や書籍というかたちで読者に提供している」人である。
飛鳥氏は、ある日、三神氏に次のような話をした。
「この日本という国には、あまりにも巨大な秘密がある。それはこの日本一国だけにかかわるものではない。全世界、全人類にかかわる大いなる秘密がある。それが明らかになったとき、世界は未曾有の大転換を迎えるだろう。」
まるで預言者のような言葉に、三神氏はいいしれない震えを感じたという。と同時に、それまでの研究が大筋ではあるが、間違っていなかったことを悟られたとも。
そして氏は次のように言われた。
この本の内容が大筋で真実に近いものならば、われわれは近い将来、何か巨大な転換を見るに違いない。この日本という国そのものにかかわる巨大な転換を・・・。
どのような転換だろうか?
私は、三神氏や飛鳥氏とはまったく異なるところからこの問題に取り組んできた。
両氏の著作を読み始めたのは2年ほど前のことである。
それまで、友人の川口常仁氏(K氏)が体験された真名井神社での六芒星との遭遇(1988年)から、数々起きる奇跡的な出会いや出来事を通じて、両氏と同じ感想を抱きつつ研究を続けていた。
私はこの大転換が次の聖句と関係すると考えている。
もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。(ローマ11・15)
「彼ら」すなわちユダヤ人が捨てられることは、世界の和解であった。
ユダヤ人が捨てられて、福音は異邦人に述べ伝えられた。
キリスト教の歴史はこれまで異邦人によって作られてきた。
世界はユダヤ人の遺棄を通じて救われ、和解してきた。
しかし、そのような時代が永遠に続くわけではない。
ユダヤ人は必ず回復する。
ユダヤ人が回復するときに、世界は「復活」する。
この個所によると、世界は今死んでいる。世界は神に反逆しており、真の意味において命を得ているとは言えない。
しかし、ユダヤ人が回復し、イエス・キリストを信じるようになると、世界全体が死から命に移る。
未曾有の変化が起きる。
私は、これこそ三神氏と飛鳥氏が言われた「大転換」の内容だと考えている。
日本人は、契約の民であり、長い間土の中に埋もれていたが、自分のアイデンティティを自覚し、契約に回復するのではないだろうか。
私は、川口氏の体験がこれを象徴しているように思えてならない。
氏は、自分のルーツを探るために出かけた旅において、真名井神社の六芒星と遭遇する。六芒星を刻んだ石碑は氏が訪問する直前に地元の有志が、土の中に埋もれていたものを掘り起こして御影石の立派な石碑として復活させた。
http://www.millnm.net/qanda/manaij.htm
六芒星が土の中から蘇る。
長らく忘れ去られていた日本人の真の姿が回復したことを示しているのではないだろうか。
日本人が本当の古代史を学び、自分のルーツを悟るときに、世界も土の中から起き上がる。
これまで悪人の誘導によって、戦争をさせられてきた世界であるが、新しい時代がはじまり、平和を希求する日本が指導的地位につくならば、世界は平和に導かれることだろう。