なぜイエズス会士が広島・長崎の核爆発を生き残ったのか


イエズス会の司祭たちが、広島・長崎の両都市における核攻撃を生き残った。


証言:「第二次世界大戦中、原爆が2つの日本の都市広島と長崎に投下された。この両都市において驚くべきことが起こった。

-独特な集団が、爆発範囲の十倍以上も離れた場所においても、ほとんどの人々が死亡した核爆発のもとで生き延びた。・・・
-その独特な集団とは、ファーティマのメッセージに生きるカトリックの司祭たちであった。
-それは、再現された。二度起こった。広島と長崎で。
 二つの生存者の集団は、いずれもカトリックの信者であった。
-他のほとんどの建物は、ぺしゃんこになった。3倍も離れた場所においても。しかし、彼らの建物は残った(いくつかの窓は無傷であった)。
-他のすべての人々…は、爆発地点から3倍も離れた場所で即死した。そのイエズス会士たちが爆発にさらされた地点から半径で10倍の範囲の人々も、放射線によって数日のうちに死んだ。
-生き残ったカトリックの司祭の集団は、その後30年にわたって200回以上も科学者の検査を受けたが、まったく負の影響は見られなかった。
http://www.pdtsigns.com/hirosh.html

これを奇跡と呼ぶべきなのだろうか。

原爆を落とした張本人のイルミナティを創設したのがイエズス会士アダム・ヴァイスハウプトであることを見ると、どうしても事前に連絡があったのではないかと疑ってしまう。

事前に予防法を教えられており、地下深くにもぐり、放射線を遮蔽するような衣服を来ていれば、どんなに近場で爆発があっても影響をまぬかれることができるだろう。

 

 

2010年6月1日

 

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