(1)
モンスターペアレントという人々がいるらしい。
昔なら、親は万引きをした子供を叱った。殴ったりした。
しかし、モンスターペアレントは、逆切れしたりするという。
こういう人々が愚かなのは、聖書の原則を知らないからだ。
あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。(1コリント5・6)
聖書においてイースト菌は、「小さいものが全体に影響を及ぼす」ことの象徴として用いられている。
それはいい意味でも、悪い意味でも用いられる。
この箇所では、「わずかな高慢という悪が教会全体をだめにする」との悪い意味で用いられている。
子供を罰しない親は、子供を愛しているのではなく、子供を憎んでいる。
なぜならば、悪は、必ずその子供の全体を腐敗させるからだ。
一部が腐れば、全体が腐るのは時間の問題だ。
万引きを犯しても責めない親は、その子をさらに悪い悪にいざなっている。
子供という「矯正ができる」間に悪習を取ってあげること。
善悪のけじめをきちんとつけてあげること。
これによって子供は救われる。
子供を神の命令にしたがって育てないと、必ず自分に返ってくる。
子供は自分の人生の一つの結果である。
だから、甘やかした子供は自分に必ず何らかの結果をもたらす。
むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(箴言29・15)
新潟で少女を誘拐して9年間監禁した犯人は、親に甘やかされたそうだ。
善悪の区別をきちんと教えられなかったのだろう。だから、化け物になった。
事件を起こして社会に迷惑をかけ、そして、親に恥をかかせる。
神は、自分の子供がどのような大人になったかを見せ付けることによってその人の歩みに対する評価を下される。
(2)
社会は犯罪者に対して甘い顔をしてはならない。
犯罪者は、全体の中のしみである。
その数は5%にも満たないだろう。
しかし、「わずかなパン種は全体を膨らませる」のだ。
5%だから関係ないなどと言ってはならない。
5%を放置すれば、全体が腐る。
犯罪はどんなに小さいものでも真剣に取り締まるべきだ。
一時、自販機で500円硬貨が使えなくなった。偽硬貨を使う連中が現れたからだ。
一部のごく少数の人によって全体が迷惑する。
犯罪とは社会に大きな影響を及ぼす。
殺人に死刑をもって報いない社会は、殺人者を育てる社会である。
殺人者に命を与えることは、殺害された人よりも殺害した人間のほうを尊んでいることを意味する。
だから、そのような社会は蒔いた種を必ず刈り取ることになる。
犯罪に対して寛容な社会は、崩壊する社会だ。
今のEUの国々を見よ。かつて寛容を誇っていたが、がらがらと音を立てて崩壊している。
戦前のワイマール共和国を見よ。結局社会が混乱し、ヒトラーの台頭を許した。
聖書に頼らず人間の知恵に頼るとこうなるのだ。