イラク戦争を肯定する米クリスチャンは正統的キリスト教から逸脱している
ディスペンセーショナリストは、「政治はキリスト教が関わる領域ではない」と主張してきた。
我々に対しても、そう主張し、政治について語る我々を批判してきた。
しかし、見よ。今一番熱心に政治にかかわり、ブッシュ大統領に影響を与えているのは、ディスペンセーショナリストではないか。
最近、ファルージャへの攻撃で、賛美歌を流しながら攻撃を行っていると聞いたが、もし本当なら「とんでもない」ことである。
アメリカクリスチャン同盟の議長ロバータ・コウムズは、次のように言った。
「我々は、イラクの独裁者サダム・フセインの体制の終結を目指すブッシュ大統領に心から賛同する。・・・我々は、アメリカ国民に、ブッシュ大統領に賛同し、・・・地上のあらゆる地域に民主主義と西洋的価値観を導入する試みに賛同するよう、強く呼びかける。」
キリストの御国を拡大する方法が武力によってもよいなどという考えは、聖書のうちにまったくない。
御国の活動は、もっぱら「伝道と教育」による。
「剣を取る者は剣によって滅びる」(マタイ26・52)と記されているではないか。信じる者が救われるのは、「宣教のことばの愚かさによる」(1コリント1・21)と記されているではないか。
こういった間違った教えと行動によって、今、日本人そして世界の人々の間に、キリスト教根本主義に対する反感が広まっている。
彼らの悪い証しによって、キリストはレイピストと見られている。
TV番組でも、心有る人は、ブッシュ大統領の力づくでのイラク制圧に顔を曇らせている。
クリスチャンは、弁明しなければならない。
TVキャスターは、「キリスト教原理主義者がブッシュ大統領を後押しして、侵略を肯定している」と伝えている。
彼らは、
キリスト教原理主義=聖書を文字通り信じる立場=狂信的=十字軍的他宗教国への侵略
という単純な図式を描いている。
彼らの誤解を解かないと大変なことになる。
これまで我々が築き上げてきたキリストの福音のイメージがすべて破壊されようとしているのだ。
聖書を神の言葉として信じる立場は、けっして狂信でも何でもないし、また、イラク戦争など異教徒を力づくで支配することを認める立場でもない。
問題は、ディスペンセーショナリズムのプレ・ミレにあるのだ。
今のファンダメンタリストはほとんどディスペンセーショナリズムを信じている。そして、ディスペンセーショナリズムを自己批判しないままに再建主義の「統治主義」を受け入れたから、「暴力による覇権拡大」を肯定するようになった。
ラッシュドゥーニーもゲイリー・ノースも、「力の宗教」を否定している。そのために、ゲイリー・ノースは、Moses and Pharaohという本を書いた。
「力による支配」の原理によって動いていたエジプトの王に対して、モーセは「倫理による支配」の原理によって対抗した。
モーセは、「契約を守り、神に忠実である者に力が与えられる」と主張した。
「それは、王・・・が・・・命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。」(申命記17・20)
我々正統派のクリスチャンは、モーセと同じように、武力によって力を獲得するというような帝国主義的見解を採用しない。
今イラク戦争をやっている連中は、キリスト教原理主義でもファンダメンタリズムでも再建主義でもない。
彼らは、イスラエルの文字通りの領土回復、イスラエルを中心としたキリストの世界支配を信じ、歴史的正統主義から離れたディスペンセーショナリズムという異端の教説を信じている人々である。
正しい良心を持つクリスチャンは、声を大にして、ブッシュ大統領を支持するアメリカクリスチャンにつまづいているノンクリスチャンにこの事情を説明しなければならない。
放置すると、福音伝道に回復できないほどの大きな傷が残るだろう。
2004年11月15日
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