世界を変える人は試練を耐える人だ


不思議なことだが、最近ある同僚の体験が私とK氏のそれと同じであることが分かった。

私とK氏は、1990年ころからともに祈りあってきた仲であり、1996年に私は独立伝道者として複数の牧師から按手を受けた。

K氏も、同じ年に霊的な目が開けて私と同じことを学びはじめた。

しかし、私もK氏も2000年を境に状況が一変する。

K氏の仕事が激減した。それまでは事務所にいるとひっきりなしに電話がかかってきて、車検の仕事は地域で一番多いとすら言われていた。

それが、ぴったりとなくなったのだ。

私は、1999年にK氏のところに出入りしていたある人物と知り合い、2000年に支払わずに逃げたので、大きな穴をあけられて非常にひどい状況に落ちた。この同じ人物により、K氏も破産状況に落ちた。

2000年から2002年にかけては、それまで仕事をくれていたクリスチャンの企業も傾き、どん底の状況であった。

最近、それまで個人的なことはあまり聞いていなかった兄弟の話を聞いたところ、同じ時期に同じような苦境に陥っていたという。

ある悪人が来て事業が大打撃を受けたらしい。

その他類似点が多数あり、やはりこの働きをしていた仲間に同じ悪魔の攻撃があったと感じる。

立ち直るのに時間がかかった。

今ようやく元通りになるかという矢先に去年の恐慌である。しかし、それも乗り切れるだろう。

私の感覚では、我々の活動を封じ込めるために一時的にサタンの活動が許されたのだと思う。

サタンは必ず敗北する。神の国を押さえ込もうとしても無駄だ。

神は我々を荒野を通してからカナンに導こうとしている。

呪いのない祝福はない。

まず呪いがあり、その後に祝福がくる。

この呪いを避けることは不可能だ。

クリスチャンは鍛えられなければならない。

「人はパンだけで生きるのではない」という御言葉を体験するまで逆境にあう。

ヨブを見たまえ。

ヨブは家庭が崩壊した。奥さんは、「あなたはこんなにひどい目にあってなおも神を信じるのですか。神を呪って死になさい」とすら言った。

その後、その損失を補って余りある祝福を受け、財産が2倍になった。

神の国の前進のためには、絶対に避けられない道である。

しかし、そこで振るわれてしまうなら、その人は本物ではない。

本物しかカナンには入れない。

本物とは現実を見ないで約束を見る。

「今の姿」を見て評価する人間は本物ではない。

「結果」だけで評価する人も。

世界を変える人は、試練を耐える人だ。

 

 

2009年10月31日

 

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