無償の愛は聖書的ではない7


牧師とか伝道者とかは、賜物でなるものだ。

だから、資格がないとなれないものだ。

資格といっても、世俗の資格とは質が違う。神からの直接の召しだ。

これがない場合、どんなにがんばっても無理だ。やってみればわかる。

ということは、牧師や伝道師に召された人々は有資格者として、それにふさわしい報酬を得ることができるはずだ。

医者や弁護士に報酬を払うことを躊躇する人がいるだろうか。

しかし、牧師や伝道師にはそれを躊躇する。

なぜ?

馬鹿にしているから。

半ば軽蔑しているから。

「あなたを先生と呼ぶわけには行きません」なんていう傲慢きわまりない信徒もいる。

そんなやつのために誰がメッセージする?

もし先生と呼びたくないなら、教会に来るな。

恵みだけ受けて、義務を果たすことを嫌う。こんな人を馬鹿にした人間がサービスを受けることができると考えるな。

とにかくすべての情報は有料である。

私は、私を先生と呼ぶことをしたくないやつとか、報酬を払うことを拒否するやつにまでメッセージを語る義務も、責任もあるとは考えていない。

 

 

2010年5月22日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp