人を恐れるとわなにかかる
「人を恐れると罠にかかる」
子育てに失敗する人の特徴は、人を恐れるところにある。
神への信頼がなく、人間の顔色を伺うところがあると、思い切って訓練できない。
家庭だけではなく、学校や職場でもそうだろう。
昔は結果を恐れずに人を訓練した。日本人の特徴は、訓練の厳しさだった。
職場でも家庭でも、親は子を、先輩は後輩を厳しく指導した。
しかし、最近は違う。
なぜだろうか。
人を恐れるからだ。
人気を気にするからだ。
しかし、人気を気にすると、逆のことが起きる。
人に救ってもらおうとして訓練を怠ると、その人から捨てられる。
子供の顔色を伺って甘やかすと、子供はかえって寄り付かない。
教会員の顔色を伺って指導を怠ると、簡単に離れていく。
どれもこれも、「短期的に結果を得よ」とのサタンの誘いに乗ったからだ。
「自分のいのちを失うものは、それを得る」という原則は、クリスチャンにとって基本だ。
短期的な結果に左右されず、いつも遠くを見て、長期的な繁栄を目指す。
短期的に人から嫌われてもいい、という覚悟がない人が増えた。
日本語に、「・・・させていただいています」とかやたらと相手の気持ちを逆立てない表現が増えた。
現代の日本は、「嫌われたくない」症候群の患者で満ちている。
しかし、人を恐れると、罠に陥る。
人に救ってもらおうとすると、かえって人から捨てられる。
恐れは、例外なく罠なのだ。
私の知人で、集団ストーカーの被害を訴えている人がいる。
被害妄想と症状が似ているが、実際にそういう攻撃があるかもしれない。
とおりをすれ違いざまに、「あなたのことを知っているわよ」とか言われるとか。
電磁波の攻撃とか。
なぜならば、タヴィストック研究所はそういう研究をしてきたからだ。
しかし、考えていただきたい。
恐怖は、サタンの道具である。
サタンは、恐怖を罠と見ている。
恐怖におびえる人は、罠にかかっているのである。
サタンは、恐怖の次に、絶対に安心を与えない。
さらなる恐怖を用意している。
恐怖は恐怖を呼び、その人はどんどんと深みにはまっていく。
対人恐怖は、さらなる対人恐怖を生む。
サタンの目標の一つは、「人間の人生を恐怖で台無しにすること」である。
つまらない恐怖で一生を棒にふらせること。
尊い仕事に携わらせないこと。
とくに神の国の拡大のための仕事につかせないこと。
こういう目的で、サタンは様々な妄想を用意している。
「霊」とか「幻聴」「幻想」「幻視」、お化け、UFO、・・・
そんなものあってもなくても実害のないものを使って、気を散らすのだ。
私は、「ディストラクション(気を散らすこと)の霊」というものがいると思う。
重要な事柄に目を向けさせないために、くだらない妖怪や人の目、評価などに振り回されるように仕向ける。
このようなものの犠牲者は非常に多い。
対策は一つ。
神だけを恐れよ!
ということ。
次のソロモンの箴言を暗記して、人や霊などを恐れるようになったら何度も唱えてほしい。
人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。
支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主である。(箴言29・25−26)
我々を裁くことができるのは、主しかいない。
主の許しなしに、人間は何もできない。
人を恐れずに、神だけを恐れ、大胆に正しいことを行おう。
2009年5月3日
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