世界史の意味


学校の歴史の授業では、絶対に「世界史の意味」を教えてくれない。

だから、生徒たちは何のために歴史を学ぶか本当の意味で知らない。

世界史の意味とは、マタイ28章19節「すべての国民を弟子とせよ」である。

弟子とすることの基本は思想を変えることである。

新約聖書が書かれた当時の世界は、ギリシア思想が支配的であった。

ギリシア思想の基本は、自然主義である。自然をはじめから存在したもの、基準と見做す。

クリスチャンはギリシア人やローマ人に伝道し、自然主義から聖書主義に変えた。聖書は自然を最初から存在したものとしてではなく、造られたものと見る。自然は基準ではないと考える。神の法こそ基準であるとする。

しかし、人間の業には限界があるので、キリスト教が彼らの思想を変えるだけではなく、彼らの思想がキリスト教に入った。

つまり、融合が起こった。

欧米のキリスト教は、このギリシア思想との融合体である。

これをヘレニズムと呼ぶならば、欧米のキリスト教とは、ヘレニズムと(聖書の)ヘブライズムの融合と呼ぶことができる。

融合とはかっこいい言い方だが、これは単なる妥協であり、不純物の混入に過ぎない。

カトリックとプロテスタントの違いは、ヘレニズム対ヘブライズムの比率の違いであり、カトリックがヘレニズム寄りであるのに対して、プロテスタントがヘブライズム寄りであるという違いでしかない。

このヘレニズムの混入を取り除く試みを徹底して行ったのがヴァン・ティルである。

ヴァン・ティルは、聖書啓示を究極に置き、それを人間の思考の前提とせよと説いた。

これによって、キリスト教のろ過作業の基礎ができた。

クリスチャンは、ヴァン・ティル以降、キリスト教からヘレニズムを取り除く働きに着手した。

その具体的な作業の方法を示したのがラッシュドゥーニーである。

彼は律法に着目した。そして、ヘレニズムの自然法思想を拒絶し、究極の法として聖書の法を据えるべきだと説いた。

このとき、プロテスタントの宗教改革が徹底化された。

プロテスタントは、ヘレニズムの除去を目指した(「聖書のみ」)が、不徹底だった。しかし、ヴァン・ティルの前提主義によって、ろ過作業の原理が示され、ラッシュドゥーニーによってその具体的方法が提示されて以来、真の意味での宗教改革がスタートした。

これが「世界の弟子化」の流れである。

これに対して、歴史にはサタンの流れもある。

サタンにとって世界史の意味とは、「世界の反弟子化」である。

世界の諸国民をできるだけ神から引き離し、世界を横領すること、これこそ彼の究極の目的である。

サタンは、一度弟子化され、ヘブライズム化されたヨーロッパを、再びヘレニズムのみの世界に変えようとした。

聖書啓示を人間の思考から徹底して排除する原理を示したのは、カントである。

だから、真の反宗教改革の原理は、カントにおいて完成した。

彼は、神の出る幕を徹底して排除する原理を編み出した。

それ以降、カントの霊的弟子たちが、世界支配に乗り出し、今やそれを征服しつつある。

この「神抜きの世界」は、かつて一度実現した。

それは、バベルの塔である。神を除外した世界をつくり、人間が人間のために人間だけによって世界を統一しようとした。

しかし、神は最後の最後において彼らの計画を粉砕された。

互いのコミュニケーションの能力を破壊し、言葉が通じなくなった。

今、EUがバベルの塔を自らの運動の象徴にしているのは、神抜きの人間王国を建設しようとしているからである。

それは、サタンの働きである。

カントは国際連盟の提唱者であった。国連もバベルの塔である。

共産主義のインターナショナルも同様である。国連憲章の執筆者は、ソ連のスパイ、アルジャー・ヒスによる。

現代は、毒麦と良い麦の刈り取りの時代である。

どれが毒麦で、どれが良い麦であるかは、初期のころは分からない。

しかし、時間が経つにつれてその姿は明らかになる。

欧米における弟子化の不徹底により、キリスト教化された世界は、ヘレニズム(毒麦)とヘブライズム(良い麦)の混合体であった。

時間の経過とともに、だんだんとその内実が明らかになった。

ヘレニズムの本質が実は悪魔教であることが明らかになった。

EUのポスターにバベルの塔が象徴として使用されていることがそれを示している。

我々の使命とは、ヴァン・ティルの前提主義を原理とし、ラッシュドゥーニーの神法主義を方法として、世界を思想的・実際的に弟子化することにある。

 

 

2009年4月1日

 

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