Sさんの教会は再建主義の代表ではない4


> 「それから、もう一つは、ポスト・ミレです。」のところは、プレ・ミレですね?

律法が嫌われている、その次に嫌われているのはポスト・ミレだ、という意味で使いました。

> ところで、我々はプレ・ミレの終末観はかなり見聞きすることが多かったわけです
> が、ポスト・ミレの終末観は具体的にはどんなものととらえたら良いですか?たとえ
> ば千年王国の直後に再臨があると考えると、1000年で区切るということはディス
> ペンになってしまうと思われますが、どう考えたら良いでしょうか?
> 再臨の時期に関してはある程度予測できるものなのか、それとも、全く神の御心のう
> ちにあると受け止めるべきでしょうか?
> 以前のニューズレターで使徒3:21に関するものがありましたが、同感でした。
> Sさん〜シリーズとても良い教会成長論ですね。
> 以上ですが、示唆があればよろしくお願いします。

中世のヨーロッパの人々は、本当に千年と考えて、紀元千年のときに再臨が起こると考えていたようです。しかし、何も起こらなかった。
黙示録の数字は「象徴表現」として考えるべきだと思います。
他の様々な表現も象徴表現として使われています。
たとえば、新しいエルサレムの大きさを文字通り解釈すると、日本列島本土の縦の長さを平方したくらい巨大なものです。
そして、その巨大な町が天から降りてきた、と書いてあります。
これを文字通りとらえることはできません。
1000という数字は、完全数10の3乗です。
同一数の3乗は、至聖所の寸法表記と同じであり、「完全性」を表すと考えるべきでしょう。
そして、千年王国は、10年とか20年で終わるのではなく、1000年単位の長い期間と解釈すべきでしょう。
フルプレテリズムは、千年王国をイエスの昇天からエルサレム神殿崩壊までの40年間としますが、桁が違います。
やはり、これは伝統的に教会が考えてきたように、千年単位の長い期間と考えるべきでしょう。
再臨の時期に関しては全く神の御心のうちにあると受け止めるべきと思います。
しかし、歴史が終了して、後から考えて、神の計画の秩序正しさがわかるような気がします。
たとえば、三位一体を象徴して、父の時代1000年、子の時代1000年、聖霊の時代1000年、合計で新約時代が3000年、旧約時代がノアまで2000年、イスラエルの時代2000年、合計で7000年(1週間の千倍)というような計画かもしれません。
しかし、聖書はこれについて何も啓示していませんので、不明と思います。
我々がそのようなことを予測する権利はありません。

 

 

2004年6月27日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp