「富士古文献」によると、神風は元寇だけではなく、それ以前から吹いていたらしい。
帝舜有虞氏は蓬莱山のある豊阿始原瑞穂国が全世界の祖国であることを知り、武力による制圧を志 した。彼は自ら大船三六〇艘を指揮して東海に乗り出したが、世界開闢の祖神の怒りに触れたのか、突如、黒雲・神風と出会い、ついには大軍もろとも海に呑まれてしまった。
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『三国志』で有名な呉の孫権は、皇帝の位についた翌年の黄龍二年(二三〇)、徐福の子孫が住むという亶州と夷州とを求めて将軍の衛温と諸葛直に兵一万を与え、東海へと船出させた。しかし、二人の将軍は夷州[台湾]から数千の住民を連れ帰ったが、肝心の亶州[日本]には行き着けず、帰国後に命令不履行ということで孫権に殺されてしまった。
このことから、徐福の子孫が東方にいるという伝承がすでに三世紀の中国にあったこと 、呉の孫権がその伝承に関心を持っていたことがうかがえる。
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text2.htm
日本は、何か超自然の力に守られている。
その理由は、前述のとおりに、紀元70年の審判後に、「羊」(マタイ25章)として救われた人々、つまり、クリスチャンとなった王族であるユダの人々が天皇家として、ベニヤミン、レビとともにやってきて、それ以前に到着していた北朝の人々と合体し、完成したイスラエルだからである。
日本は神聖不可侵のパラダイスの地上的型なのかもしれない。その証拠に、秦氏が作った都市である京都は、黙示録の天のエルサレムを模したとしか考えられない作りである。
京都の紋章でもある六芒星は、△と▽の合体。神社の外宮と内宮、上社と下社は、この新約と旧約、イスラエルの北朝と南朝、物部と天皇の合体を象徴しているのかもしれない。
もう一つは、この引用のように、「蓬莱山のある豊阿始原瑞穂国が全世界の祖国である」からなのかもしれない。
蓬莱山は、富士山の別名である。豊阿始原瑞穂国は、日本の別名。
実のところ、聖書におけるエデンの園はもともと日本にあったのかもしれない。
エデンの園の場所については諸説があり、アララテ山のあたりにあったとする人や、黒海の北岸あたりにあったとする人々など様々である。
仕事でアララテ山のふもとの都市エレバンに行ってこの山を見たことがあったが、実に富士山に似ている。
黒海の北岸のソチという都市にも行ったことがあるが、そこも花咲き乱れる豊かなところだ。
しかし、世界でもっとも絵になる風景は富士山ではないだろうか。このように美しい山と土地は世界にないだろう。
世界の祖国が日本であると考えても無理はないように思える。
このように美しい自然と豊穣な土地、豊かな水、危険な動物や昆虫が少ない土地は世界の人々から狙われても不思議ではなかった。
しかし、本当の意味において日本が侵略されたことはない。
米国ですら天皇の統治に触れることはできなかった。
なぜならば、神の守りがあるからだ。
イルミナティは、このタブーを犯そうとした。イルミナティの傀儡である小泉が女系天皇制によって天皇制を崩壊させようとした。
このような試みをする人間や勢力は古来裁きを受けてきたのだ。
彼らは、契約を知らない。ダビデは契約を知っていたから、イスラエルの王サウルに手をかけなかった。
サウルを殺したのは、契約を知らない野蛮人だった。
野蛮人、無神論者は、神に油注がれた人に手をかけることがどのような裁きを招くか知らない。
天皇は、大嘗祭において、バプテスマ、聖餐式、献身礼を受ける。
このような正式な儀式を経、正統な権威を受けた人に手をかけるならば、古来神風によって滅んだ人々の仲間になる以外にはない。