火炎の世界でもがき苦しみたくなければ


教えについて簡単に考えている人がいるが、教えは自分の永遠の生命を決定する最も重要なポイントである。

イエス・キリスト以外にも救いの道を作ることは、異端であり、パウロが聖書の中において「呪われるべきだ」と宣言している。


しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・8-9)

永遠の刑罰について考えてみよう。

我々が人生において辛い出来事にあっても耐えられるのは、希望があるからだ。冬が来たら春は遠くないと思え、と自分を慰めることができる。

しかし、地獄において、希望はない。冬が来ても春は絶対に来ない。

100年たったら炎の中から出られるわけではない。

10000年たっても出られない。

サウナに1時間入っていろと言われたら発狂するだろう。

サウナどころではない場所に「永遠に」入らなければならないとすればどうだろうか。

臨死体験で一瞬でも地獄を見た人は、あまりの衝撃に記憶がなくなると聞いた。

なかったことにしようとする意識が強く働くという。

イエス・キリストだけが、我々の代わりに刑罰を身代わりに受けてくださった。

イエス・キリスト以外にそれができる存在はない。

だから、イエス・キリストを信じる以外に救いの道はない。

神が我々のために用意してくださった道はこれ以外にはない。

これ以外の道を選ぶ人は、身代わりの犠牲がないために、自分でその刑罰を受ける以外にはない。

間違った教えを選択することによって、あなたは、1億年たっても出てこられない火炎の世界でもがき苦しむことになる。

教えはそれほど重要なことなのだ。

 

 

2008年5月1日

 

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