地元商店街の衰退は日本経済の衰退を象徴しているのか?


今ビートたけしのTVタックルで、地元商店街が大型店舗に負けて消滅しかかっていると報じられている。

こういった零細商店を救済するのが政治家の仕事だと訴えたいのか。これこそ共産主義の惑わしである。

どの業界でもそうだが、市場で生きている以上、もし顧客からの需要がなくなれば、仕事を変えるか、新しい需要を呼び起こすか以外にないのだ。

市場において死につつある個人や会社は、顧客の側に彼らに対する需要がなくなっているからであり、それを生き残らせても顧客にとっていかなる利益にもならない。

むしろ、若干の業者に対して人為的な救済の手を差し伸べることによって、圧倒的大多数の地元住民は迷惑を被る。

「冷たい」と言うだろうか。

そうじゃない。騙されてはならない。

むしろ需要のないものを生き残らせるほうが、長期的・総合的にみて冷たい政策ということになるということをご理解いただきたい。

今各地にNTTの電話局の廃墟ビルが残っている。通信業界の自由化によって、無用の長物になったからだ。

このような廃墟は、日本の通信事業の衰退を象徴しているだろうか。

逆だ。自由化されたことによって、我々はより安くよりよいサービスを受けられるようになった。

私の携帯電話は、ある一定時間帯以外、いつでも同じ会社同士無料である。1ヶ月の通話料はせいぜい5千円程度である。このサービスがなかった場合、携帯料金は軽く数万円を越えるだろう。

地方商店街の疲弊は、「日本経済全体の疲弊」を象徴せず、それゆえ、日本経済政策の間違いを象徴しない。

昔のように、政治家を動かし、大型店舗規制法を作らせるのか。

もうそんなやり方は通用しない。不合理な方法は長続きしない。政治的格差を作る方法では根本的に問題は解決しない。

解決は、需要に応じて自分を変えることだ。

環境にあわせ、人々の求めに敏感に対応して、彼らが欲しがるサービスや物を作り、売れ。

何も零細商店は死ねと言っているわけではない。そういう誤解は厳に控えていただきたい。

 

 

2008年3月31日

 

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